2014年02月

三浦半島周遊計画(134号編:1/6)

 
今旅の第一目標国道16号の部分走破を終え、大津交差点より国道134号入線。
1963年5月24日から1975年頃までの約10年ほどの間、134号はココが起点だった。
 
そんな二代目旧起点(初代は本町)から久里浜までは、旧久里浜港線区間。
昭和28(1953)年4月17日に認定され、同5月18日に134号に昇格し、同7月21日に廃止―――。
 
 
なんじゃそりゃ。。
 
 
要するに、134号認定の前後の僅か3ヶ月だけ存在した蜃気楼のような路線だった。儚すぎ・・・
当時は市道を直接国道に指定出来ないと言う変なルールでもあったのだろうか?
とにかくこの区間は、初の県道指定から国道昇格まで僅か1ヶ月と言う「超スピード出世」を果たした。
 
 
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ただ、旧久里浜港線のうち、久里浜港-森崎間は久里浜葉山線(S25/6/1認定)と重複していた為、
旧久里浜港線認定により新たに市道から県道に変わったのは大津-森崎間(1.7㎞)だけ。
また、終点も大津ではなく本町だった為、大津以北は件の横須賀浦賀線とも重複していた。
 
なお、昭和58(1983)年5月31日に「久里浜港線(現212号)」が再登場するが、この旧国道区間とは全くの無関係だ(一続きの211号久里浜港久里浜(停)線は全線が旧久里浜葉山線/旧久里浜港線)。
 
 
この県道認定(実質国道認定)により、横須賀市街-久里浜間のメインルートが浦賀回り(横須賀浦賀線-浦賀三崎線=浦賀通)から平作川回り(旧久里浜港線-久里浜葉山線=久里浜街道)に変わった。実質的には既に後者がメインだったハズだが(マトモな道自体は戦前からある)、県道認定により名実共にメイン化された訳だ。
 
 
浦賀回りルートのバイパスとも言えるそんな区間から、134号の旅、スタート。
 
 
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大津以降も引き続き4車線道路が続く。これまで同様、やはり規格はややショボい。
旧横須賀浦賀線との信号を挟み、京急本線(堀之内-京急大津)をアンダーパス。
 
なお、京急線は堀之内で、浦賀止まりの本線と三崎口まで続く久里浜線に別れ、実質的には後者が本線となっている。何故実質支線の浦賀方面が本線なのかと言うと、元はこれが久里浜へ続く本線になる予定だったから。しかし、浦賀-久里浜間は山で隔てられており、1㎞程度のトンネルが必要だった。技術的には問題なかったハズだが、時は戦中、一刻も早い久里浜方面への延伸を求められ、山を避ける久里浜線が建設された、、と言う事だそうな。。
 
 
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信号をひとつ挟み、距離案内標識の掛かる大津歩道橋。これを潜ると、、
 
 
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右カーブの出口で、ちょうど列車が通過中の京急久里浜線を潜る。赤い車体が青空に映える。
ガードを過ぎると緩やかな下り坂に。続いて大きな左カーブとなり、これを曲がり切ると、、
 
 
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根岸町の交差点に。衣笠、葉山方面はここを右折の事。ここを逃すと、結構な遠回りを強いられる。
 
 
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続いて、北久里浜駅前の交差点に。信号は旧式の標識とLED信号の「年の差カップル」だ。
右方向の市道は衣笠・葉山方面へのメインルートだが、右折禁止で進入不能。
この市道より右折先の道幅が狭い根岸町に案内が出ているのはその為だ。
 
 
そして、駅前を過ぎると、、
 
 
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分身の術ぅ(音速丸風(゚ε゚ )
 
 
と言う具合に、県道27号(横須賀葉山)が二手に別れる湘南橋の交差点に。
上が新道で下が旧道、、では無く、どちらも本線。上(横横側)から来て下(鎌倉方面)に向かうのだ。
 
どう見ても、この交差点を挟んで27号を連続利用する車には不便な造りだが、そうした車は少数派。
27号側から来た車の大多数は両方向とも、構造的な本線である134号に流入する。
逆に、134号大津側からの車の多くは、134号久里浜方面ではなく27号横横方面へ流れていく。
 
 
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要するに、27号横横方面と134号久里浜方面を入れ替えると、
路線的な本線と実質的な本線(メイン動線)のギャップが解消される訳だ。
 
実際、湘南橋-野比駅入口(27号起点)間の距離は、27号経由が4.5㎞なのに対し、134号は5.6㎞と1㎞も遠回り。またこの区間は、27号は大部分が4車線(数年後に全線4車線化予定)なのに対し、134号は久里浜以降は完成2車線。距離だけでなく、車線数でも27号の方が優位なのだ。
 
と言う訳で、三崎方面へは134号より27号の方が早い。案内がそれを反映していないのは、134号の面子を保つためか。まぁ今更どうしようもないが、湘南橋-野比駅間は134号と27号の指定を入れ替えた方が実態に即した指定内容になると思う。
 
 
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交差点直前の本標識は車線別の案内。交通量に比例し、134号より27号の方が車線数が多い。
右車線は三分割された上で27号用の車線になる為、引き続き134号を走る場合は左車線へ。
 
 
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久里浜側より交差点を振り返る。こちら側にも車線別の案内標識が並ぶが、、
 
 
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こちら側は車線と行先が分離されたセパレート型で、車線案内は発光式。コッチの方が格好イイな。
個人的には「横横」の標識が緑地ではなく白地なのが萌えー。そのまま本線の起点で使って欲すぃ。
 
 
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向き直って(我に返って)久里浜方面に進むと、左カーブの最中で距離案内標識が登場。
久里浜まで2㎞。普通に走れば5分くらいだが、実際には更に1時間ほど掛かった。
 
 
カーブの出口から平作川が真横に。それから間もなく、、
 
 
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横横(平作川橋)が頭上を横切る三差路に。ある事情の為、一旦134号を外れる。右折し、市道へ。
 
 
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まずは梅田橋で平作川を渡る。並走して横横の高架が伸びている。
片側にだけ桁の乗った門型橋脚がいかにも暫定2車線、、と思ったら、この橋脚が門型なのは真下に水路がある為で、更に桁を乗せる為では無かった。増設分の車線の予定地は現在線の右側だ。
 
 
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佐原ICに併設された本線料金所まで1㎞の案内標識が良く見えた。
 
 
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橋を渡ると、単線区間の横須賀線(衣笠-久里浜)の踏切となる。
運悪く、足止めを食ってしまった。渡った先は丁字路。滞留防止の為、左折しか出来ない。
 
 
そんな丁字路の直後、今度は三差路に。クランク状にここを右折し、、
 
 
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工場街を一直線に進む狭い2車線道路へ。
次々やって来る車にビビりながら約300m進むと、件の(都)久里浜田浦線との信号に。
ここを右折し、4車線の都計道を衣笠(田浦)方面へ。
 
 
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横横を潜り直すとすぐ、27号との佐原交差点に。直進し、引き続き衣笠方面へ。
ん?だったら湘南橋で27号に入った方が良かったんじゃ。いや、確かにそうなんだけど、、
 
 
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犯罪になっちゃうから。。
 
 
その最短迂回路が134号からここまでのルートだが、踏切あるわ狭いわで予想以上に不便だった。
歩道橋を使えば27号でも行けるが、交差点と跨線橋で二度も歩道橋があり、およそ機能的ではない。
 
 
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交通弱者に冷たい27号を渡ると、郊外型店舗の連なるカラフルな商業地へ。これを抜けると、、
 
 
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県道26号(横須賀三崎)との衣笠インター入口の予告青看が登場。この標識では分からないが、、
 
 
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左車線はそのまま側道に。側道経由でも衣笠ICには行けるが、当然遠回りになるので要注意。
因みに、本線は自転車通行禁止の規制が無く、法的には通行可能だ。勿論逝かんがな。。
 
 
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側道を登り切り、インター入口の交差点。
手前で青看が再登場するが、実はコレ、ある大きな「描き忘れ」がある。それを補うと、、
 
 
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三☆方☆開☆花。。
 
 
そう、実はここから三浦縦貫道の入口までは、縦貫道共々26号の支線に指定されているのだ。
 
 
ふむふむ、なるほどなるほど。。
 
 
・・・。。
 
 
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しらねよそんなNO!!(音ry
 
 
と言う訳で、この連絡区間は未走破で、伴い26号自体も厳密には未走破だった(本線のみ走破済)。
それを解消する為、134号の走破を中座し、この場所までやって来た訳だ。でも虚しいな、、
 
 
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未走破区間たった700mで、しかも三浦縦貫自体は自転車通行不能の自専道。
正真正銘の県道とは言え、そんな自専道御用達区間の為に、この区間を含めて往復約7㎞の寄り道かぁ。まぁ久里浜田浦線や縦貫入口の様子にも興味はあったので、決して退屈では無いのだが。
 
 
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で、連絡区間に入ると、いきなりこんな残念な看板がお出迎え。もうなんだか散々じゃん。。
看板の主は横須賀土木事務所ではなく横須賀市土木部。元は市道なので別に違和感はないが、
現在の道路管理者が県なのか市なのかは分らない。街灯のシール?見忘れたよそんなもん(´・ω・`)
 
 
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駐停車禁止区間に入ると同時に、26号本線を潜った都計道本線と合流。側道はそのまま左車線に。
そして合流直後、開削式の函型のトンネル・住吉隧道に突入するが、、
 
 
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抜けた先が、何やらややこしそうだ。。
 
 
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銘板。昭和59(1984)年開通と新しい部類な割に、やったら判読しづらい。この時代に石製とは・・・
 
 
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銘板そのものは、すごく見易い位置にあるんだけどね。。
 
 
そんなトンネルの事業主体は、横須賀市では無く神奈川県だった。
将来の県道化を見越していたのか、それとも都計道自体が県の代行事業だったのか。。
 
或いは三浦縦貫の開通に関係なく、衣笠ICが開通した時点で、いわゆる「接続区間」として既に県道に指定されていたのかもしれない。衣笠ICの開通は、1984年4月27日だそうな(佐原延伸に伴う全面開通は90年3月29日)。一応手元の公報の束を漁ってみたが、三浦縦貫開通前後も含め、該当する告示は見当たらなかった。
 
 
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緩やかな右カーブを描く、断面が拝み勾配型の短いトンネルを抜けると、、
 
 
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すぐに衣笠インター入口となる。左車線はそのままインターへのオンランプとなる。
その為、側道から進入した車両が太田和街道(市道)及び三浦縦貫へ向かう場合は、距離が短い上に暗いトンネル内で右車線に移動しなければならず、結構危ない。逆も然りで、都計道本線からインターに向かう場合も、トンネル内で左車線に移動する必要がある。トンネル内で両車線の車が交錯する訳で、安全面では最悪の構造だ。欠陥とも言えるそんなリスクを負ってまで造る必要があったのかね、このトンネルは。周り、そんなに家無いけど。。
 
なお、歩道はインター入口で途絶。
左折は常時青(もとい信号制御の対象外)なので、後続に注意して車道へ。
 
 
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交差点部。「衣笠城址前」と言う、なんともインター入口らしくない名前が付いている。
「インター入口」は26号本線で使っている為だと思うが、それなら「インター前」で良いような。
 
 
そもそも「前」と呼ぶべき衣笠城址の入口は、この信号では無く、、
 
 
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目の鼻の先の太田和街道入口だ。
左折すると、太田和街道こと(市)衣笠大田和線で林方面へ抜けられる。終始26号本線と並走しており、その抜け道として重宝されているようだ。「街道」なる名称はいかにも古道らしいが、実際には平成生まれの新設道路。この道路か、或いは三浦縦貫が出来るまで(どっちが先なのかは不明)、26号本線からここまでの道は、実質的に衣笠ICの一部だった。
 
 
なお、三浦縦貫(Ⅰ期=衣笠IC・衣笠出入口-林出入口)の開通日は2000年3月4日。
上り線のみうら縦貫パーキングの開通は少し遅れ、2003年4月22日だった。
通行料金はで普通車300円。4.5㎞でこの値段はちと高い。
 
 
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太田和街道入口を過ぎると、歩道が復活、、するが使うなとの事。この道の上り線側の歩道はとことん不遇だ。そんな歩道には、「ガラクタ」に紛れて縦貫用の電光掲示板。この写真では読めないが、、
 
 .走行注意 .
   作業中   .
 .三浦縦貫 .
 
との事だ。。
 
 
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続いて、三浦縦貫を通行できない車両や歩行者に対する案内が登場。
そして、車線減少を挟み、、
 
 
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衣笠支線の終点にして三浦縦貫の起点、そして都計道の久里浜側端点である
三浦縦貫衣笠入口の三差路に。×印の入った痛々しい青看、神奈川では初めて見たかも。
 
 
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三差路部。左折レーンと直進レーンは1車線分のゼブラで隔てられており、都計道延伸後も左折専用レーンが存続する事がわかる。左折車による渋滞を防ぐ最良の構造だ。最良の構造なのだが・・・
 
 
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三差路先はすぐゲート。工事看板がずらずら並んでいる通り、鋭意工事が進んでいるようだ。
 
 
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縦貫側の青看にも×印。工事中が方便でないのがせめてもの救いだ。
 
 
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振り返って縦貫方面。さっそく0KPが立っている。
 
 
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0KP前の路面にはスプレーペイントもあり、反対側にはそのペイントの標識バージョンもあった。
「シ」は「支線」の略だろうか?縦貫が「シ-1」で衣笠支線が「シ-3」。あれ?「シ-2」は?
 
 
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起点全景。すぐに衣笠城址トンネル(267m)となり、抜けた所で衣笠ICからの合流がある。
そこから片側2車線・・・にならず、以降終点・林出入口まで延々と対面通行。
まぁ約5㎞の短い旅路なので、ジャスト60㎞/hで走っても一瞬だとは思うが。
 
他方、26号本線には4車線化計画がある。信号だらけの一般道なので仮に実現したとしても信号ゼロの縦貫より速くなる事は無いと思が、自専道である縦貫が一般道に「見栄え」で劣る事は必至で、縦貫の存在意義そのものも小さくなってしまうだろう。
 
 
いや、その存在意義は既に極小なのかもしれない。車、一台も来ない・・・(汗)
 
 
私がこの三差路に来たのが9時7分で、立ち去ったのが16分。この9分間の間、三差路を通過した車はゼロだった。信じてもらえないかも知れないが、これは誇張でもなんでもなく、嘘偽りない真実である。
 
左折レーンどころか信号自体が用をなさない、有料道路の出入口では最も忌むべき惨憺たる状況。
真昼間の40万都市の県道、しかも主要地方道でこんな静寂を体験するとは夢にも思わなんだ。
一番交通量の少なそうな佐島港線ですら、1分に一台は通るだろうに。。
 
縦貫は観光道路の色彩が強く、観光需要の少ない平日は元々「暇」なのだろう。
それにしたってこの徹底した閑散振りには驚く他ない。実はまだ未開通とか、そんな事は無いよね?
 
縦貫利用者の大部分は、衣笠ICで直結する横横からの流入車両。
その横横合流以降のメイン区間は、そこそこ賑わっている。そう信じよう。。
 
 
憐みすら感じる異様なまでの静寂の中、26号、今度こそ走破。。
 
 
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さて、最後に本当に未開通の都計道の様子を。
一応三差路直後は供用中だが、入ったところですぐ、ゲート前で回れ右させられる。
強いて言えば、衣笠ICや大田和街道に入り損ねた人用の「再チャレンジ用スペース」か。
 
 
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転回場所を取り囲むバリケードには、工事看板がずらずらと並ぶ。
 
 
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ゲート寄りの2枚に関しては、言い回しが違うだけで中身は同じように見えるが。。
 
なお、県章入りの工事看板の通り、未開通区間を含む縦貫入口-県道27号(池上地内)間は神奈川県によって整備が進められ、27号側の1.7㎞に関しては、平成18(2006)年に(市)坂本芦名線-(市)金谷駿河坂線間の0.4㎞が、平成19(2007)年9月に坂本芦名線-27号間の1.3㎞がそれぞれ開通。
 
 
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未開通区間は縦貫入口-金谷駿河坂線間の1.2㎞で、これが開通すると森崎-池上間の27号の物理的なバイパスとなり、衣笠十字路池上十字路を筆頭にした27号の渋滞が大幅な緩和が期待されている。また、整備主体が県である事から、全通に伴い、少なくとも池上側27号-三浦縦貫入口間は正真正銘の27号のバイパスになるかも知れない。県のHPによると、開通予定は平成28年度だ。
 
 
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ゲートの奥を覗いてみる。
 
 
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見える範囲はもう骨格が出来上がっており、数年以内に開通しそうだ。
実はこの区間、当初は2011年度中に開通予定だったが、軟弱地盤だサンショウウオだ、、
大幅に遅れたそうな。言われてみれば、確かに法面はアンカー入り特有の「十字架」だらけだ。
単なる山越えにしては随分時間掛ってるよなと思ったが、決して「単なる」では無かった訳だ。
 
 
こんなところで撤収。134号へ向け、来た道を戻る。
 
 
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戻り始めた直後、長い静寂を破る通過車両が遂に登場!
が、見ての通り久里浜田浦線の工事関係車両で、待望の縦貫利用者では無かった。静寂は続く。。
 
 
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太田和街道入口から交通量が激増し、片側2車線道路らしい喧騒が戻る。
 
 
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インター前の信号を挟み、住吉隧道。下り線側の銘板は、位置だけでなく内容自体も見易かった。
 
 
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トンネルから約2㎞進み、27号を渡ると、フェリー乗り場の案内が登場。
房総・金谷とを結ぶ東京湾フェリーの乗り場で、この道の起点・大浜交差点の目と鼻の先にある。
 
 
この後も来た道を淡々と戻り、、
 
 
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9:30、梅田橋際より134号に復帰。走破、再開。
 
 
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平作川沿いを一直線に進む。左手には大型の郊外型店舗が並び、休日は混みそうな雰囲気だ。
 
 
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そして、平作川を斜めに跨ぐ日ノ出橋を渡ると、、
 
 
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9:38、JR久里浜駅前三差路。
横須賀線の終点・久里浜駅の出入口で、すぐ前方を京急久里浜線が横切るこの三差路で、第一未走破区間が終了する。なお、三差路は県道210号(浦賀港久里浜停車場)及び県道211号(久里浜港久里浜停車場)の終点でもあり、134号はここから両線との3重複区間となる。
 
 
しかしそれも長くは続かず、、
 
 
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約360m先の夫婦橋交差点で、三方に各々散らばる。
三者三様を地で行くそんな交差点で走破済み区間も敢え無く終了。第二未走破区間が始まる。
 
134号はここを右折し、旧久里浜停車場線/旧久里浜葉山線区間から旧浦賀三崎線区間へ。
道なり直進は211号(旧久里浜停車場線/旧久里浜葉山線)で、久里浜港へ向かう。
左折は210号(旧浦賀三崎線)で、久比里坂を越え「ポンポン船」でお馴染みの浦賀港へ向かう。
 
 
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交差点部。全方向の路線が異なる為か、四隅全てにソトバが立っている。気合入ってますなー。
そんなゴージャスなソトバや青看の通り、134号はここを右折するが、、
 
 
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そこから先は2車線道路death。と言う訳で、起点から続いた多車線区間はここで終了。
以降、藤沢市内の江の島入口交差点まで37.7㎞に渡り、延々と追越不能の対面通行が続く。
 
 
長い長い2車線区間と共に、第二未走破区間の走破、開始。。
 
 
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まずは近代的な街路で久里浜の市街地を通過。港町らしく。街灯は錨がデザインされている。
大浜歩道橋と共に距離案内が登場し、城ヶ島まで15㎞、三崎まで14㎞との事。
 
あ、そう言えば134号に入ってから、正規のおにぎり一個も見てないじゃん。
交差点用も含め青看が頻繁に登場しており案内上は全く問題無いが、そろそろお目に掛かりたい。
 
 
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京急久里浜駅の入口でもある歩道橋前の信号を過ぎると、久里浜田浦線との久里浜交差点に。
やぁ、また会ったね。。
 
 
この信号を過ぎると、間もなく市街地も終了し、野比へ向けた山越えが始まる。
その山越え区間の坂道の名前から、夫婦橋-野比間の134号にはある特徴的な愛称が付いている。
 
 
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尻こすり坂通り。。
 
 
尻をこすりながら下るような急坂だったと言う事だろう。
チャーミングな名前は、むしろこれから登ろうとする身には恐ろしげだ。
とは言え、所詮は幹線道路の低山越え。どう転んでも、「尻上げ坂」にはならないと思うが。。
 
 
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神明小前で高規格区間が終了すると、センターラインがオレンジ色に。
それを合図に、直後の神明中学校前の三差路から「尻こすり坂」が始まる。と同時に、、
 
 
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待望の初おにぎり登場!!
 
 
これがアレか、おむすびころりん(違
 
 
とにもかくにも、起点から6.1㎞地点で、ようやっと初おにぎりの「捕食」と相成った。
 
 
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京急久里浜線と並走しながら、開けた谷間を登る。
幹線道路としては急勾配だが、善波と同じかちょい急なくらいで、緩々登ればなんて事は無い。
 
 
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標高30mを突破。
いつの間にか目線より下に移った京急線は、間もなく約700mのトンネルに突入する。ずるいなー
 
 
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薄暗い掘割を挟み、ハイランド入口で標高49mのサミットに。134号横須賀区間の最高地点だ。
距離930m、高低差45m、平均勾配約5%。路線初の本格的な登り坂は、なかなかの登り甲斐だった。
無論、これも車道として整備された「新尻こすり坂」たればこそ。昔は大変な難所だったのだろう。
 
 
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サミットを過ぎると、更なる高みへと続くボーナスステージが・・・。遠慮しとくよ。。
 
 
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サミットから5mほど下ると、左手に野比温泉が登場。
へぇ、こんなトコに天然温泉があるとは知らなんだ。今度車でこっちに来た時寄ってみよう。。
 
 
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下り切ると、左側に小川が登場。左側の路肩までは流路上に道路が張り出しているようだ。
左上は「ライブタウン」なる団地。斜面沿いに続くスケルトンな駐車場が、古代遺跡っぽく見えた。
 
 
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小川を渡ったっ直後、大きな左カーブの終盤で2枚目のおにぎり登場。これを過ぎると、、
 
 
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9:56、27号(現道)との(YRP)野比駅入口三差路。第二未走破区間、終了。
近接する次の県道212号(久里浜港)までの僅かな区間だが、再び走破済区間となる。
右折先は湘南橋で別れた27号で、佐原ICや横須賀リサーチパーク(YRP)へ向かう。
 
 
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三差路部。拡幅前で右折レーンが無く、朝夕は混むかもしれない。ただ、YRP方面は右折レーンの付いたひとつ手前の大作交差点を右折した方が早い為、ここを右折する車はそんなに居ないかも知れない。逆に狭い分、スクランブル化には最適だ。
 
 
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通り名標識とソトバのツーショット。
27号には特に通称は無いが、尻こすり坂とほぼ同じ高さの山越えはある。名前から来る先入観が
なかった事もあってか、急坂だった印象は全く無いが、景色自体は尻こすり坂より印象的だった。
 
 
いや、凄く手が込んでたのよ、、
 
 
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法面と歩道が。。
 
 
サルノコシカケ(キノコ)みたいな張出型の歩道を纏う、山そのものを支えるかのような厳つい法面。
16号の連続トンネル同様、山と街が隣り合う横須賀ならではの光景だなぁと思った。。
 
 
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27号起点から間もなく、野比の三差路に。ここから第三未走破区間となる。
左折すると、212号で久里浜港へ向かう。僅かに残ったペイントの通り、昔は左折専用レーンがあった
ようだ。なお、「尻こすり坂通り」はここで終了。以降は212号から続く「北下浦海岸通り」となる。
 
 
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因みにこれは「東計画」時の撮影。それがあっての事ではあるが、今回は写真が雑だなぁ。。
 
 
 
 
-続く-                                   27日 23時40分  公開
 

三浦半島周遊計画(16号編)

 
三浦半島の大動脈・国道134号の走破をめざし、1年ぶりに三浦半島へ。
逗子市から県道24号(逗子横須賀)を経由し、現在地は横須賀市の船越町交差点。
134号の起点へ向け、ここから通勤ラッシュ真っ只中の国道16号内回りを横須賀市街方面へ。
 
その横須賀市街まで、怒涛のトンネル連続区間が続く。
 
 
イメージ 1
 
実質的に国道357号となる(都)夏島船越線との信号を過ぎると、急な右カーブに入ると同時に、距離案内標識が登場。三崎25km、観音崎13㎞。斜面の急な山際をなぞる上に整備時期が古い為、六浦-横須賀駅間の16号は、このカーブを筆頭に急カーブが多い。それでも多車線と言う事で巡航速度は早く、端から見ているとかなり危なっかしい。一応40㎞/h規制だが、実際には倍近い速度で流れている。
 
 
そして、カーブを曲がると、、
 
 
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最初のトンネル、船越隧道(75m)に。
石造りの重厚なポータルは失われているが、外見・規格の両面でその古さが一目瞭然だ。
 
 
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電灯は高さに余裕の無いトンネル特有の中央一灯式、歩道は激狭で離合・追越困難、車道は極端に狭くは無いが、右車線には3.8mの高さ制限が掛かる。トンネルの断面は左右対称だが、歩道の分だけ車線が右側に寄っている為、こうした奇妙な規制内容となっている。
 
こんなトンネルが、ここから6本、連続する。
多くの自転車は車道を往くが、私はパス。無理ス、怖すぎるス。写真も撮るし。
 
街灯等の工作物が邪魔なので、ホントは車道の路肩から撮りたいのだが、大型車だとホントにギリギリの車線幅しかない上、通勤・通学の自転車もいっぱい来る。とにかく危ないし邪魔になるので、トンネルの写真は全て歩道からの撮影となっている。故に、本来なら使いたくないような悪い構図の写真が多いが、ご了承ください(_)
 
 
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因みに、船越町-汀橋間を含む六浦-汀橋間は、国道31号時代の昭和2(1927)年9月2日の開通。
隧道は旧側のみの開通で、新側はまだ無かった。そして開通前の旧国道、一体どこ走ってんだい・・・
 
 
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新船越隧道を潜ると、田浦の市街地を通過する約750mの明かり区間。田浦-横須賀駅間では最も長い。途中で横須賀線と交差するが、その交差部分だけは、現国道開通前の旧道と重なっているようだ。写真は交差直後の田浦町三丁目手前。この信号から(都)久里浜田浦線が分岐予定だが、今の所それらしい雰囲気は全くない。
 
 
そして信号を過ぎるとすぐ、、
 
 
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二本目の田浦隧道(115m)に。
古薫るポータルはほぼそのままだが、緊急時用ランプのせいで、肝心要の額縁が無くなってる・・・
 
 
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もうちょい大事にして欲しいそんなトンネルから、内回りと外回りが完全に分離された区間が始まる。
 
 
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田浦隧道を抜けると、県道206号(田浦停車場)との田浦駅入口(内回り)交差点に。
信号がLEDに変わっていた。左折するとすぐ田浦駅だが、こちらも路側帯が緑色にカラー化されていた。
 
 
写真、撮れば良かったぜ。。
 
 
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206号を渡ると、すぐに吾妻隧道(約87m)に。やはり額縁が失われている。
 
 
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信号をひとつ挟み、吾妻隧道。
 
 
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「二度ある事は」でやはり額縁の無いトンネルは全長193mと、これまでのトンネルより断然長い。
 
 
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それで歩道はこの幅だから、近隣住民は不便この上ないだろう。
 
 
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そんなトンネルを抜けると、安針塚駅入口の交差点に。
上下分離区間が一瞬だけ途切れるこの信号を過ぎると、、
 
 
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新吉浦隧道(259m)に。両方向合せて、このトンネルが横浜-横須賀間の最長だ。
額縁も復活、、したが、ポータルが明らかに後年改修のレンガ隧道風になってしまった。ハリボテェ・・・
 
 
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なお、トンネル名に「新」が付く通り、このトンネルから両方向の建設時期が入れ替わる。
ここまでは下り(内回り)が旧、上り(外回り)が新だったが、以降は下りが新、上りが旧となる。
 
因みに、新新道の各隧道は全て、横須賀水道のトンネルとして明治~大正期に掘られたものを
後年拡幅したもの。よって、トンネル自体の歴史は、実は旧新道の方が浅いのだ。嗚呼ややこしい。
 
横須賀市のHPによると、拡幅前の水道用隧道(後の新新道)は大正7(1918)年から一般人の通行が可能になり、事実上の国道として機能したそうな(狭かったが、人力車くらいは問題なく通れたとの事)。真の新国道(旧新道)の開通が昭和3(1927)年なので、約9年間の大活躍だった事になる。その後、昭和17~18年頃に水道用隧道が拡幅され、正真正銘の国道(新新道)となった。
 
 
と言う訳で、今から潜る二本の隧道は、元は横須賀水道の隧道だった事になる。
で、さっそく新吉浦隧道を潜ると、、
 
 
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吉倉公園入口の信号を挟み、新逸見隧道(148m)。今度は額縁も含め、完成当時の姿を留めていた。
田浦からの狭隘トンネル群はこれにて終了だが、最後の最後でようやっと、完全な状態の隧道を目にする事が出来た訳だ。「劇的なラスト」と言えばそうだが、幅が完成時のままなら、外観も然りであって欲しかった。さもなくば、いささかではあるが「苦労させられ損」と言う事になってしまう。
 
因みにこの隧道群だが、当然大掛りな改修計画があり、優先度(老朽化度)の高い順に順次改修予定だそうな。20年後には、額縁どころか往時の姿を全く留めていないトンネルばかりになっているかもしれない。利便性は増すが、面白味は無くなってしまうだろうな。
 
なお、この改修計画については、元締めである国交省横浜国道事務所の専用ページに詳しい。
各トンネルの延長、竣工年も全部ここに載っている(助かりました)。
新逸見隧道の竣工年は、どう考えても年号間違ってるが。。
 
 
因みに、この隧道の上を、横須賀ICと横須賀駅前を結ぶ本町中山道路(県道28号)が通っている。
 
 
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新逸見隧道を抜けると、道路の雰囲気がガラッと変わった。
電柱・電線は地下化、歩道の舗装はインターロッキング化され、洗練された景観になった為だ。
間もなく逸見駅入口の交差点となるが、その北側(写真だと左側)は高層マンションを中心に再開発された新しい街となっている。その再開発事業に合わせる形で国道も整備されたようだ。恐らく最終的には、横須賀市内の16号のうち、横須賀街道区間は全線、この近代仕様に改められるのだろう。
 
なお、逸見駅入口を右折すると、京急本線・逸見(へみ)駅を経て衣笠方面に抜けられる。
横須賀市の主な平野は市中心部のある東京湾沿いの「東海岸」、衣笠を中心とした平作川沿いの「平作平野(便宜上の仮称で正式名称では無い)」、佐島や荒崎などの景勝地が散在する相模湾沿いの「西海岸」の三つで、平作平野の両サイドと北側は山地及び丘陵となっている。
 
逸見駅前を通るこの幹線市道(都・根岸東逸見線)は、現時点では「東海岸」と「平作平野」を結ぶ最北の一般道で、広域的には、三浦半島の東西を結ぶ幹線道路の一部でもある。同様の道路は、これを過ぎると県道24号まで無い。その意味で逸見駅入口交差点は、駅の出入口以上の重要性を持っている。
 
 
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そんな交差点から間もなく、田浦-横須賀市街間最後のトンネル、新横須賀隧道(116m)に。
 
 
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幸か不幸か、このトンネルは既に改修済みで、往時の面影は全く残っていない、、と思ったのだが・・・
 
 
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トンネル入口脇に置かれた隧道改修記念碑的な碑。クリックすると読める大きさになります。
ん?この文面だけ見ると、トンネルそのものが平成2(1990)年11月に開通したかのようだが・・・
 
 
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正にその通り。。
 
 
つまり、横須賀隧道の区間だけ、1990年11月まで対面通行だった訳だ。信じられん・・・
内回りはトンネルの約100m手前、外回りは約300m手前の横須賀駅入口でそれぞれ車線が減少していた。正にボトルネック。渋滞、相当酷かったんじゃないかと。。
 
なお、旧新道側の横須賀隧道自体の開通も昭和20(1945)年と、他の旧隧道に比べ20年ほど遅い。
では、トンネル開通前の国道はどこを通っていたかと言うと、トンネルが短絡する舌状の山の北側を
律儀に回り込んでいた。現在のトンネル手前で左にカーブし、横須賀駅前で横須賀線を横断、海岸沿いを進んだ後、現在の駅入口で現道に合流していた。と言う事は、、
 
 
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県道25号(横須賀停車場)はほぼ全線が旧国道。。
 
 
し、知らなかった。。
そうなると、新横須賀隧道先で25号を跨ぐ横須賀高架橋も、旧隧道開通時は無かった事になる。
実際航空写真を見ると、1955年時点では存在せず、1963年には確認出来る。横須賀駅へ出入する車両が年を追うごとに増加し、16号内回りと駅の出入りの動線を分離する必要が出たのか、或いはトンネル先の2車線区間の距離を少しでも短縮するためだったのか。多分、両方だろう。
 
なお、横須賀停車場線の認定日は、旧隧道開通から5年後の昭和25(1950)年6月1日。
主要地方道への昇格時期は、昭和33(1958)年以前なのは間違いないが、正確な時期は不明だ。
 
また、駅前の踏切は、歩行者専用に「デチューン」された上で現在も残っている。
逸見地区と横須賀駅の最短路の為、利用者は新横須賀隧道の歩道より遥かに多い。
うーぬ、あの踏切が旧国道の名残だと知っていたら、写真くらい撮ったのになぁ。。
 
 
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正真正銘平成生まれの新横須賀隧道内。歩道は特段広い訳ではないが、すれ違うには十分だ。
既に改修済みの旧隧道も同じ規格。今後改修されるトンネルは、この程度の幅になるのだろうか。。
 
 
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トンネルを抜けると即、横須賀線(横須賀-衣笠間)を跨ぐ。ちょうど列車(方向は失念)がやって来た。
標識は無く、橋にもこれと言った特徴は無いので、クルマだと気付かないかも知れない。
 
なお、横須賀以南の横須賀線は全線が単線。
この16号を潜ると、そのまま横須賀隧道(約2㎞)に突入し、東海岸から平作平野にワープする。
 
 
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跨線橋上より振り返って隧道東側坑口。こちら側は両方の坑口が揃っている。
これまで同様、トンネル上には民家が点々と並ぶ。駅間近だが、便利かと言えば微妙だろう。
 
 
そして、もう一度振り返ると、、
 
 
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歩道消滅/(^o^)\
 
 
25号に続く階段が二系統あるが、面倒くさいからいよいよ車道へ。
すぐに下り坂の横須賀高架橋となり、下り切った所で25号と合流する。
 
 
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そして直後、本町三丁目の交差点に。
手前で車線が倍増するが、本線は赤い減速ドットラインの描かれた真ん中2車線のみだ。
 
大きく左にカーブする国道の右側に、横須賀一ののっぽビル、ベイスクエアよこすかを仰ぎ見る。
高さは92mだそうな。フハハ、我が厚木のアクストメインタワー(117m)の方が高いな!!
 
 
人口=横須賀市:40.8万人>>>厚木市:22.4万人
 
 
参りました(´・ω・`)
 
 
そもそも90mと120mじゃどんぐりの背比べだでな。。
 
 
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交差点部。Ⅹ字型のモダンな歩道橋が頭上を跨ぐ。
右折すると、京急本線・汐入駅へ。最終的には、逸見駅入口で分岐した市道と池上十字路で合流する。左折すると、横須賀屈指のショッピングモール・ショッパーズプラザ横須賀へそのまま入店となる。
 
横須賀中央駅を核とする中心市街の外れに位置するこの交差点だが、市中心部を代表するふたつの大型商業施設に囲まれた立地や高層ビルを仰ぎ見る景観からは、この地こそが商業の中枢、、と言った印象を受ける。実際、古くからの商店街を前身とする中心市街地の衰退は、他都市同様、ここ横須賀でも深刻だと聞く。
 
 
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本町三から間もなく、「三崎街道」こと県道26号(横須賀三崎)との交差点を予告する標識が登場。
行先は主要経由地である「衣笠」のみで、終点・三崎(日の出)は16号の行先となっているが、
実は26号の方が16号経由より1㎞以上短い(26号一本=19.5㎞、16号・134号・27号経由=20.8㎞)。
ただ、26号の方が混みやすいので、所要時間も短いとは限らない。
 
 
そして、原子力空母でお馴染みの横須賀基地の正面ゲート前を挟み、、
 
 
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7:26、26号起点・本町一丁目交差点に。「Kinugasa」、どう間違ってたんだろね。
右折すると、横須賀一の目抜き通り「中央大通り」となり、約500m進むと横須賀中央駅となる。
そのまま進むと、衣笠十字路を経て林交差点で引橋-鎌倉間の国道134号に至る。
 
 
因みにこの交差点、、
 
 
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昔は「ロータリー風」だったらしい。交差点南東側の歩道が妙に広いのはその名残だったのか。。
 
 
なお、1952年12月4日に認定された当時の16号は、ここが終点だった。
では、現在16号になっている本町三-走水間はなんだったのかと言うと、、
 
本町三-馬堀交番前間は、大正9(1920)年4月1日認定の横須賀浦線(1960年4月1日廃止)だった。このうち、本町三-大津間は、昭和28(1953)年5月18日に同線存続のまま国道134号となった。
認定当初の134号は、横須賀のど真ん中であるこの交差点が起点だったのだ。
また、大津-馬掘交番前間は横須賀浦賀線の廃止と同時に浦賀港線(現208号)となった。
 
一方、馬堀交番前-走水間は元々市道で、昭和35(1960)年4月1日に観音崎環状線(現209号)に指定された後、昭和38(1963)年5月24日に、国道134号だった本町三-大津間と共に16号に昇格した。ただ、旧観音崎環状線区間は直轄区間では無く、県管理区間だった。この区間の直轄化は、海沿いを走るバイパス(よこすか海岸通り)の開通時(1975年頃)かその後の事だと思われる。
 
なお、バイパス開通に伴い、1963年に134号から16号に昇格した本町三-大津のうち、
医療センター前-大津町が再び134号となり、起点が大津から医療センター前に移動した。
また現208号も、16号の走水延伸時に縮んだ馬堀交番前-大津間が再び同線の一部となった。
バイパス開通時期同様、この2路線の再延伸時期も現時点では不明だ。
 
一方、現209号は上の2路線とは違い、16号の走水延伸時に区域変更がなされなかった為(そのまま16号重複区間になった)、バイパス開通に伴う16号の経路変更時も、路上の案内や地図上の表記は変わったものの、区域自体には何ら変化は無かった。
 
 
上記を図でまとめると以下の通り。全部一編には無理だったので、大津で分割。
 
 
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まずは本町三-大津間。
 
 
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続いて大津-走水間。
 
横須賀浦賀線の認定年を入れなかったのは、現道と認定年が異なる為。
路線自体は大正9年認定だが、現国道の開通は昭和に入り、埋め立てが進んでからだろう。
 
 
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現国道及び旧国道(現県道)開通前は、このルートが現在の16号に当たるルートだった。
この16号のご先祖が、馬堀以西ではそっくりそのまま大正9年当時の横須賀浦賀線だと思うが、
完全にイコールだったかは分らない。
 
 
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本町三を過ぎると間もなく、「よこすか海岸通り」が左に分岐する小川町の交差点に。
歩道橋の架る目の前の信号はダミーで、奥が本物の分岐である(青看ちと不親切)。
 
行先にある平成町と共に、平成期の埋め立てにより誕生した4車線道路。16号のバイパスとしても
機能し、走水・観音崎方面に関しては正規ルートの16号より海岸通り経由の方が早い上に走り易い。
なお、この道路が16号と再合流した後は、16号自身がよこすか海岸通りとなる。
 
因みにこの交差点以降の16号は、右折レーンが無い、或いは中途半端な交差点が多くなる。
 
 
さて、厚木からここまで飲まず食わず出来たが、そろそろ限界。どこかで朝食を採らねば。。
そう言えば、16号をもうちょい走ると・・・
 
 
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あったあった、すき家。
と言う訳で7:38、すき家16号横須賀安浦店で朝食。三浦東の帰路以来、二度目の来店だ。
 
 
満腹になった後、運転再開。そして間もなく、、
 
 
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7:51、国道134号起点・救急医療センター前交差点。
道なりに進むと、自動的に16号から134号(旧16号)に移る。
 
そんな交差点から今旅のメインターゲット、134号が始まる。
が、その134号へは進まず、左折して引き続き16号へ。
 
実はここから走水の新旧合流地点(209号分岐)までの16号(3.1㎞)も未走破。134号の前座として、まずはコッチをやっつける。逆に、ここから大津までの134号は、同じく旧16号である208号、209号と共に走破済みで、そもそも走る必要が無い。
 
よって16号走破後は、ココまで戻らず、大津から134号に入る。
その大津から久里浜駅前までの4.2㎞が、134号における最初の未走破区間だ。
 
 
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走水分岐までバイパス道路となる16号。
左折後、1車線の直角右カーブを挟んで再び片側2車線となり、直後に距離案内の標識が登場。
上半分はマスキングしてあるが、あらかた「浦賀」とでも入っていたのだろう。
 
 
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案内標識から間もなく、歩道橋の架る三春町三丁目交差点で、中心部で別れた海岸通りと合流。
戻る形になる左折は出来ない。左折方向に進む場合は、一つ手前の路地を左折する(案内アリ)。
 
 
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先述の通り、ここからは16号が「よこすか海岸通り」となる。
この通りをはじめ、横須賀市内は正式な別名の付いた道路が多い。
数字や路線名は得てして無味乾燥なので、愛称でもある別名の設定は個人的には好ましい。
 
 
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海岸通り区間に入ると間もなく、三春町四丁目の交差点に。
右折先は134号久里浜方面と一体の市道で、目前の大津交差点を挟み、そのまま134号となる。
 
 
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三春町四を過ぎると、大津漁港前を通過。そして、直後の右急カーブを曲がると・・・
 
 
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フェニックス並木に南国情緒の薫る海岸沿いの直線区間へ。
 
 
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せっかくなので、ちょいと海を眺めていくことに。
 
 
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まず目に入るのが猿島。
東京湾唯一の自然の島だそうで、海水浴やバーベキューが出来る。
横須賀中心部から渡船が出ていて、かくいう私も実は2010年の夏に上陸した事がある
 
 
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猿島の奥には、県都・横浜のシンボル・ランドマークタワー。
アクストもベイスクエアも目じゃない超高層ビルで、296mは神奈川どころか日本一の高層ビル、、
だったんだけど、ついこの前、大阪・天王寺(阿倍野区)の「アベノハルカス(300m)」に抜かされて、
本当に神奈川一位、強いて言えば東日本一位になってしまった。おのれ清明ッ!!(なんでだよ
 
 
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島を挟んで右側には、(首)湾岸線の横浜ベイブリッジ(860m)と鶴見つばさ橋(1020m)。
見付けるたびに言ってるけど、つばさ橋は神奈川県で一番長い橋だ。
 
 
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更に右側には、おぼろげなスカイツリー。ここから彼の世界一まで、直線距離でジャスト50㎞だ。
 
 
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アングルをぐっと右(東北東方向)へ。
 
 
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対岸・千葉県は富津の工場群(いわゆる京葉工業地域)。その足元を、海を渡った16号が走っている。
 
 
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更に右を向けば、丘のようになだらかな房総半島らしい山並み。磯根崎辺りが見えているようだ。
 
 
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中央部に大き目の天然石を敷き詰めたベルトが続く防波堤。
高波が越水した際、ここが海水を吸収して自然排水する仕組みになっているようだ。
 
 
寄り道終了。一段下の国道に戻る。
 
 
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それから間もなく、横横の終点・馬堀海岸ICへ。
 
 
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浦賀・佐原両ICは東京方面/側のみのハーフインターなので、こちら側からは降りられない。
 
 
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インター入口三差路よりインター全景。特徴的な公団フォントの道路名標識が両サイドに鎮座している。
佐原-馬堀海岸間の開通は、2009年3月20日。これを以て横横は全通となった。
 
 
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インターを過ぎると、間もなく車線減少。
 
 
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走水端点まで2.3㎞を残し、普通の2車線道路に。いよいよ末端の雰囲気が色濃くなってきた。
 
 
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「この先の4車線化の予定は?」と思い、車線減少地点の裏側へ。
黄色や青の船が仰向けに並べられた、カラフルだけど物寂しげな空間が広がっていた。
 
 
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そのまま波打際へ。砂浜では無く、泥岩のような多孔性の地盤が続く岩礁だ。
 
 
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思ったより広・・・うぉ!?
 
 
マジかい、こんなトコから見えるんかい・・・
 
 
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/^o^\フッジッサーン
 
 
西海岸が富士の名所である事は重々承知していたが、まさか東海岸にもこんな場所があったとは。。
 
 
嬉し過ぎる誤算だ。。
 
 
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国道に戻り、数字のフォントがちょっと変(半角)な距離案内青看板と。
道幅がポンッと広がるその場所は、絶景が広がる場所でもあった。
 
なお、16号は埼玉区間を中心に、富士山の見える区間がちょこちょこある。
川越の市街地を抜けた先などは、確か真正面に見えたハズだ。
 
 
そして、富士との邂逅の興奮冷めやらぬ中、、
 
 
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8:18、未走破区間の終点・県道209号(観音崎環状)との新旧合流地点に到着。
16号の部分走破、完了。これで神奈川区間(66.5km、除自専道及び上下分離区間)の未走破区間は、横浜市内の一部・二区間(八幡橋-屏風浦間、桜木町1-中村橋間)、計5.7㎞を残すのみとなった。
まぁ他都県に関しては、東京はちょこっと走ってるけど、埼玉、千葉は1㎜も走ってない。
 
 
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209号との合流地点直後に立つおにぎりでUターンし、、
 
 
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さて、新旧どっちへ進もうかな。
距離的には209号の方が近いが、そんなに大した差じゃないので、大人しく来た道を戻る事に。
 
 
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分岐直後、右側になにやら歴史物らしいホームベース型の案内板が登場。 
 
 
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「ヴェルニーの水」こと走水の湧水の位置案内と、その所以を記した解説板だった。
クリックすると大きくなるので、興味のある方はご一読を。
 
この走水の湧水は市内唯一の「自己水源地」だそうな。勿論軍都としての発展に伴い増え続ける水需要をここだけで賄う事など到底出来ず、件の横須賀水道を建設し、津久井や相模川から遠路はるばる横須賀まで水を引くに至った訳だ。
 
因みにヴェルニーとは仏人造船技師・フランソワ・レオンス・ヴェルニーの事。
軍都・横須賀の発展と日本の近代化に多大な貢献をし、駅前にはヴェルニー公園も整備されている。
 
 
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4車線区間に移り、馬堀海岸インター。最近の電光掲示板は、休む暇が無い。
 
 
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インター入口からも富士山が見えた。フェニックス越しの富士山は、個人的にはここが初めてかも。
南国チックな瑞々しい木々と、見るからに寒そうな真っ白い富士。その対照性がとても新鮮だった。
 
 
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海岸線区間を終え、大津漁港前。16号区間では撮ってなかった「よこすか海岸通り」の標識を撮影。
とは言え、特に「国道仕様」と言えるようなオリジナリティーがある訳ではない。おにぎり付きならなぁ。
 
 
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そして、三春四丁目を左折し、、
 
 
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8:32、大津交差点。道なりに進み、本日のメインターゲット・国道134号の走破、開始。
 
 
 
大磯終点まで、あと58.4km
 
 
-続く-                                   25日 19時20分  公開
 

三浦半島周遊計画(往路移動編)

 
たまには「おにぎり」も「完食」しないとねッ!
 
 
と言う訳で去る1月29日、国道134号走破を目指し、三浦半島へ。
三浦半島東計画以来、丸1年ぶりとなる「最遠の地」への旅。走行距離は予定で約150㎞とそこそこ
長いが、起伏は非常に小さく、「160㎞+1100m+雪=/(^o^)\」な前回より断然気楽な旅だった。
 
 
4時10分頃、厚木の自宅を出発。
いつものルートで平塚市に入った後、田村十字路から県道47号(藤沢平塚)へ。神川橋を渡り、、
 
 
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4:40、寒川町へ。
 
 
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頭上には勇壮なダブルデッキの圏央道(国道468号)。前回の三浦遠征時はまだ未開通だった。
有り余った高架下の空間では依然工事が続く。2車線道路がずどーんと出来たり、、しないか。。
 
 
中瀬交差点を右折し、県道45号(丸子中山茅ヶ崎)にお乗換え。
将来的には真っ直ぐ茅ヶ崎中央通り区間に直結する計画だが、動く気配は微塵も無い。
 
 
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架け替え工事中の大曲橋。新橋は本舗装まで終了。遅くても来月には開通しそうだ。
橋を渡ると茅ヶ崎市へ。直後の、右に茅ヶ崎中央通り(45号)が別れる無名交差点を直進し、、
 
 
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旧道経由で新湘南バイパス直下を走る県道44号(伊勢原藤沢)へ。
因みに、この「香川旧道」は、松風台入口-高田間と共に2014年7月31日に廃止された。
 
 
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新旧比較図。香川分館以東の開通時期は不明だ。
 
 
県道404号(遠藤茅ヶ崎)との赤羽根で44号とお別れ。引き続き、実質44号である側道を進む。
 
 
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4車線の辻堂駅前遠藤線を渡った後、国道1号(藤沢バイパス)を潜り、、
 
 
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藤沢IC目前の1号下り線(小田原方面)側へ。
いつもは自転車である事を活かして右側の歩道を進み、こちらも目前の県道43号(藤沢厚木)に出る。が、今回はちょいと考えがあって、いつもとは違うルートへ。と言ってもそんな大げさなものではなく、、
 
 
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歩道では無く、その右隣の歩道みたいな車道に入るだけだが。
なお、周囲の空き地は圏央道の一部・横浜湘南道路の事業予定地。役に立つ日が来ると良いけど。。
 
 
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見立て通り(地図通り)、43号合流直前の44号に出られた。よぉ44号、18分ぶり。。
このルート、有用な抜け道としてクルマでも普通に使えそうだ。それを確かめる為の試走だった。
 
ただほぼ全線が完全1車線だから、対向車来たらアワワーだが。
そんな幅にも関わらず路面に「スクールゾーン」とか描いてあるから、交通量、そこそこ多いんだろな。。
 
 
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5:26、白旗交差点。ここが起点の43号から国道467号にお乗換え。
因みに44号も実はここが終点で、実質終点の羽鳥からここまでは43/44号重複区間だったり。
 
 
藤沢中心部まで進んだ後、南藤沢を左折し、県道32号(藤沢鎌倉)へ。広幅員の2車線路を進み、、
 
 
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5:38、いざッ、鎌倉!
 
 
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大仏隧道を潜り、古都エリアへ。
 
 
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高徳院(大仏)前にて、反対車線側に丸ポストを発見。今まで全く気が付かんかった。。
 
 
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長谷観音前交差点。
左折レーン無いのに左折矢印がある、直進涙目なこの信号を左折し、県道311号(鎌倉葉山)へ。
 
 
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クリスマス風の電飾が煌々と輝く鎌倉市街を通過し、、
 
 
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6:06、逗子市へ。奥は新逗子隧道で、背後には新名越/名越隧道がある。
 
 
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新逗子隧道先の小坪隧道を抜けると、旧道(311号自体が134号の旧道なので、その意味では旧々道)である県道205号(金沢逗子が左に分岐。新旧分岐地点よろしく左に逸れ、その205号へ。
 
この区間の205号、実は「絶対に走った」と言う記憶が無い、、つまり未走破の可能性があるのだ。
 
205号の「走破」は高1のちょうど今頃(だからもう10年前か)に友人と鷹取山(139m)に生き物観察目当てで登った時の事。金沢区側から南下したのだが、逗子駅前で踏切を渡り、205号支線(元本線)経由で311号に出たような記憶があるような無いような。。
 
もしそうなら、支線までの横浜側本線と支線は走破した事になるが、終点側の本線は未走破と言う事になってしまう。その疑惑がどうにも拭えないので、この機会に走る事にした。横須賀・田浦へは205号・311号どちらを経由しても所要時間は大差ないし(車の場合は、時間帯によっては大きく違うだろうが)。
 
 
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入って早々、久木踏切(横須賀線)で足止め。
311号(久木新道)が踏切ナシなのに対し、旧道は逗子駅西側でもう一度踏切。そりゃ新道も出来るわな。道幅自体は新旧どちらも大差ないが、状況的には大井町の県道72号(松田国府津)の「上大井旧道」に似ている。因みにあちらは、南側の一部が県道714号(栢山停車場曽我)に「転生」している。
 
 
線路沿いの狭い2車線道路を逃げるように進み、、
 
 
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件の二度目の踏切(池田踏切)に。
右折して踏切を渡ると池田通り交差点で311号に戻る。交差点までは311号の支線になっている。
 
ここから先は現205号自体が新道となるが、正確な開通時期は不明。久木新道同様、戦前なのは間違いないが。少なくとも、大正9(1920)年「横浜逗子線」として県道認定された当時は存在していない。
 
 
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線路と山に挟まれたインチキ2車線を進み、山の根歩道橋下の分岐。
ここで右から、踏切を渡って来た支線が合流する。支線は旧道でもあり、大正9年当時は本線だった。
 
 
踏切の名前は「金沢新道踏切」。え?この区間は旧道じゃ・・・と思ったが、、
 
 
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物理的には新道だった。
元の道(旧旧道)は、明治22(1889)年に開業した横須賀線の建設時に付け替えられていた。
 
 
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それを踏まえ、大正9(1920)年以降の新道旧道の位置図。
現205号、現311号それぞれに新道と旧道があると言う事だ。
ややこしいのは、新道は開通と同時に県道になった訳では無いと言う事。
 
先述の通り、どちらの新道も開通は戦前だが、国道及び県道に指定されたのは戦後。
現311号の久木新道の国道(134号)指定時期及び久木旧道の指定解除時期は不明だが、池田踏切以北の久木旧道及び山の根新道は、昭和42(1967)年12月22日に現205号に編入された事が分かった。つまり、今走って来た区間は、昭和42年に現205号に編入された訳だ。
 
正反対の歴史的背景を持つふたつの区間を同時に編入した現205号。面白いけど、ややこしい。。
 
なお、久木旧道については、一度全線の国道指定が解除されて市道になったのか、それとも国道指定が維持されたまま205号に編入され、その後国道指定が解除されたのかは不明。支線があるところを見ると、恐らく後者だと思うが。
 
 
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1958年の全県図。ご覧の通り、両新道とも描かれてもいない。
 
 
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しかし何度も言うように、道路自体は昭和21(1946)年時点で既にある。
 
何故両新道とも、開通時に県道にならなかったのだろう。旧道と行先の異なる「別線」だった山の根新道はともかく、久木新道は旧道と行先が同じ正真正銘の新道。開通と同時に県道(1953年から国道)になって然るべきなのに、、っと思ったのだが、この写真、よーく見ると・・・
 
 
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新道の鎌倉側、旧道(久木踏切)直前で途切れてね?
 
 
そもそもこの新道は、車道としてではなく、横須賀水道の建設により生まれた副産物的な道路。
後に車道となった区間は多々あるが、元々は車を通す為に造られた道では無い。
 
途切れているように見える部分は山。旧道が一度線路の反対側に回るのは、これを避けた為だろう。
一方水道は、最低限管理者さえ通れれば良いと言う「身軽さ」を活かし、山に真っ向勝負を挑む。
 
言わずもがな、隧道の登場である。
 
道が「消えている」のは、その為だったのだ。恐らくこの隧道は車の通れるサイズでは無かったのだろう。或いは物理的には通れたが、水道は厳重な衛生・保全管理が必要な設備である為、通してもらえなかったと言う可能性もある。
 
要するに久木新道は、全線開通しているように見えて、実は最後の最後が未開通だったのだ。
だから戦後も暫く、もっと言うと隧道が開削されるまで、国道にならなかった。そう言う事らしい。
 
 
そうと知った上で改めて新旧分岐地点を見てみると、、
 
 
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なるほど確かに分岐地点の直後は、いかにも元隧道っぽい切り通りだ。ちと遠くて分かり辛いけど(スマヌ
 
 
では隧道はいつ頃オープンカットになったのか。。
 
 
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昭和38(1963)年6月。正にこの頃だったんじゃないかと。。
道路は形になっており、白みがかった法面は完成直後だと伺える。
しかし、新道には車の姿はなく、線路を挟んだ旧道には両方向とも車列が出来ている。
奇しくもこの写真は、旧道が新道に切り替わる直前を捉えた。そう言う事になりそうだ。
 
と言う訳で、久木新道が一本の明治隧道の尊い犠牲と引き換えに車道として全通し、
国道134号(当時)に指定されたのは、1963年の夏頃だったと考えられる。
 
 
これを踏まえて、後でもっかい公報漁ってみよう。該当の告示は絶対にあるはずだ。
 
 
 
 
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自宅にて告示発見(オイ)。久木新道の開通日は昭和40(1965)年11月19日でした。
「新」の区域に旧道が含まれていない為、この日から現205号に指定されるまでの丸2年間、久木旧道は全線市道になった、、のかなぁ。そうなると、現支線(池田通り交差点-池田踏切間)の「再認定」の告示が出ているハズですが、そんなの見た覚えないし。。
 
 
と言う訳で、新道の開通日は判明しましたが、旧道の変遷については依然不明点が残っています。
 
 
23日追加。。
 
 
 
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歩道橋上より鎌倉方面を振り返る。逗子駅が目の前。当然、真下の踏切は遮蔽時間が長い。
横浜-逗子間を移動する場合、必ずどこかで踏切を渡らなければならないが、日中はまず間違いなく混んでいる。一苦労して渡った先も、久木踏切以外はみな道路整備が不十分な市街地なのでやはり渋滞。もとい、踏切と市街地それぞれが、互いの渋滞に拍車を掛ける負のシナジー効果をもたらしているのだろう。幹線道路のショボさと踏切の多さ。逗子の渋滞の酷さは、このふたつが全てと言えよう。
 
 
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踏切を渡り、逗子駅前。不安だったので、一応支線も走っておいた。
左と真っ直ぐが県道24号(横須賀逗子)で、左が田浦方面へ向かう。一方真っ直ぐは311号側からの一通の為、進入禁止。逆向きの一通である右の市道で迂回する必要がある。こういった煩雑な道路状況も、渋滞悪化に拍車を掛けてるんだろうな。因みに右の市道は久木新道から続く「水道みち」だ。
 
 
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踏切を渡り直し本線に復帰すると、間もなくヘキサ登場。
このチャリとのツーショットは勿論、ヘキサの撮影自体、チャリ旅の道中では初めてだ。
 
因みにこのヘキサは路線2枚目で、1枚目も同じように撮ったが、ピンボケで使い物にならなかった。
そんな憂鬱な時間帯、夜が間もなく完全に明け、別の意味で憂鬱な時間帯、日中に変わる(結局憂鬱
 
 
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京急逗子線のガードを潜った先の信号を右折し、205号とお別れ。
線路沿いの市道を進んだ後、運動公園前で横須賀線を横断。間もなく24号との信号となるが、、
 
 
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その直前の信号を左折し、24号に並走し、その抜け道でもある「水道みち」へ。リバティーに続けー!
コッチの方が24号より走り易そうだし、何より単純にどんな道か興味があった。
しかしこの興味が、後にちょっとした悲劇を生む。
 
 
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住宅地内を一直線に貫く道路。序盤は窮屈な2車線で、途中から1.5車線路になる。
 
 
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東逗子駅前を通過。
実は、ここで水道みちを外れて駅前踏切を渡り、線路を挟んで並走する1.5車線路に入るつもりだったが、見事にスルーしました。あーあ、その1.5車線路を進めばそのまま水道みちの続きに入れたのに。
その「続き」まで、曲がり損ねてスルーしないようにせねば。。
 
 
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駅前から間もなく、24号に合流。ここから逗子IC付近までは、24号=水道みちとなる。
 
 
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その逗子ICを通過し、、
 
 
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横須賀線を跨ぐ沼間跨線橋。渡った先の信号を右折し、、
 
 
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再び水道みちへ。
ただ、今度は興味云々より単に近道出来そうだと言う実利的な理由で進入。
 
16号横須賀駅方面までの距離は、24号経由が2.1㎞なのに対し、水道みちは1.4㎞と500m以上短い。
加えて「超憂鬱」な16号のトンネルを一本パスできる。我ながら良い道みつけたぜと思ったのだが・・・
 
 
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横横を潜る、、が、なんか変だぞこの高架。両方向とも左側がやったら余ってるよ。
逗子IC間近だから、その絡みかな、と、、この時は思った。当初計画では分合流部をもっと長く取る予定だったのかなと。だが、ヤフー地図の衛生写真で見る限り、レーン延長は現状で十分。しかもこの「耳」、釜利谷JCT以南ではこの高架以外でも確認出来る。・・・と言う事はアレですか、、
 
 
釜利谷以南は暫定4車線って事ですね?
 
 
し、知らんかったわ・・・。
6車線の(首)湾岸線に繋がる金沢支線がそうなのは知ってたけど、本線も然りだったとは。。
何せほとんど走った事無いから。走ればトンネルの様子(路肩広ッ)から一発で分かると思う。
 
多分、東京湾口道路構想なんかも絡んでるのだろう。ただ、その頓挫がほぼ確定しつつあった頃に開通した佐原以降の対面通行(暫定2車線)区間はどーみても完成4車線なので、厳密には本線のうち、釜利谷-佐原間が暫定4車線、他が完成4車線と言う事になる。そして完成4車線区間に挟まれた暫定4車線区間が6車線になる日は、未来永劫来来ないだろう。勿体ない。。
 
 
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衣笠IC付近の「お耳」。こうして見るとかなり露骨だが、完成4車線だと思い込んでいれば気付かない。
 
 
さて、そんな具合に去り気なく未成な横横を潜ると、、
 
 
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あれ、全面チェーン?車止めじゃなくて?
 
 
・・・すっげぇイヤな予感がする。でもめげずに、もとい諦めきれずになおも進むと、、
 
 
 
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ですよねーorz
 
 
と言う訳で、この近道の要である水道の隧道は通れませんでした。。
 
 
 
だって、ヤフー地図は「歩行者は通れる」みたいな描き方だったんだもん。。
 
 
最も、水道の隧道=通行不能は基本中の基本(愛川町に例外があるが)。
仮にも道ヲタなら、そんくらい現地行く前に気付いてよって。。
 
 
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でもまぁ、お陰で横須賀水道名物の美しいレンガ隧道に出会えた訳だから、良かったんじゃないかと。。
今は亡き先述の「(仮)久木隧道」も、恐らくこんな姿をしていたのだろう。
 
 
往復約1㎞の寄り道を終え24号に復帰。そして横横を潜ると、、
 
 
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6:52、横須賀市境の沼間隧道へ。
右が昭和29(1954)年開通(多分改修)の旧隧道で、左が昭和51(1976)年開通の新隧道。
なんでないんだろ、新隧道開通の告示(´・ω・`)。これも今度探してみよう。。
 
 
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トンネルを潜ると間もなく、起点・国道16号(横須賀街道)を先頭とした渋滞に。
逗子IC-16号間は(都)横須賀逗子線計画に基く4車線化計画があるが、
そもそも渋滞の原因が赤信号の長さなので、仮に実現しても完全には解消しないだろう。
 
 
因みにこの4車線化計画、、
 
 
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トンネルいっぱーい!
 
 
是非に、是非に造って。。
 
 
でも、この新設2トンネル(4トンネル)は良いけど、既存の沼間/新沼間は要拡幅だろう。
掘って拡げて、、ある訳無いよな、そんな莫大な予算。多分、出来ないと思う。。
確かに現道は重要性に見合う幅員じゃないが、かと言って致命的に力不足と言う訳でもないし。。
 
逸見鷹取山線に至っては酒飲みながら線引いたのかなと思ってしまうくらいルートが突飛で、第二16号どころか第二横横(笑)。特に逗子寄りは山中を突っ走る為接続道路も少なく、非常に快走出来そうだが、逆にその少なさが一般道ではネックになりそう。接続少ない=連絡性が悪い=優先順位低、、と言う風に。まぁ一応厳格な計画なので、予定地を追うとちゃんと空き地になってる部分もあるが。
 
 
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湾岸道路(国道357号)+船越夏島線久里浜田浦線
孤軍奮闘中の16号のバイパス及び有事の際の代替ルートは、このふたつで事足りると思う。
 
勿論逸見鷹取山線もあれば便利だろうが、上下合わせて大小20本のトンネルと大量の立ち退きに
掛る費用と、開通によって得られる便益のバランス、いわゆる「コスパ」が悪すぎるんでないかと。最もそんな事は、当の横須賀市が一番よく分かってると思うが。故に未だに1㎜も開通していないのだろう。
 
 
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直角左カーブを曲がると、16号との船越町交差点に。右折し、16号内回りを横須賀市街方面へ。
直前で京急本線のガードを潜るが、高さ制限が3.8mとやや低い。4車線化の際には、このガードの
高さ確保も課題になろう。
 
 
イメージ 49
 
交差点部。横浜側(左手前)から来た場合、右車線はそのまま右直兼用レーンとなる(えぇー
実質的に車線が減る為、逗子方面への右折車が多い朝夕の時間帯は混む。また、車線変更禁止
なので、仮に左車線の車列が切れても右折待機車をかわす事は出来ない(法律的には)。 
 
 
そんな嘆かわしい交差点から始まる16号の旅もまた、嘆かわしい。
16号横須賀区間名物、鎌倉/逗子市境を遥かに凌ぐ怒涛のトンネル連続区間、スタート。。
 
 
 
-続く-                                22日 22時30分  公開
 

Vol.50:県道605号

 
まっ平らは果てしなく、県道605号(下糟屋平塚)の動画(約6分)を作製しました。
 
イメージ 1
 
富士を望む相模平野の真っただ中を、小田厚/側道と並んで疾走します。
 
 
 
 
※まず画質を最高(1080p)まで上げてからご視聴下さい。
 
 
起点:伊勢原市下糟屋            終点:平塚市豊田本郷/南豊田
 
延長:5.5㎞
 
制定年月:1960年4月(初代は1923年4月)
 
【主な来歴】
 
・大正12(1923)年  4月 l1日:旧道路法に基き〔109〕落合平塚停車場線に認定される
 
  起点は平塚駅北口で、起点-豊田間(約4㎞)は〔57〕平塚伊勢原線(現61号)と重複していた
  また終点側も、同時に認定された〔104〕戸塚伊勢原線(現22号横浜伊勢原線)と、旧下落合
  村中心部(現伊勢原市下落合)まで重複していたと思われるが、厳密な起点位置は不明
 
・昭和29(1954)年 12月 l1日:起点のある成瀬村が、他の周辺町村と共に伊勢原町(後期)となる
・昭和31(1956)年  l4月 l1日:実質終点のある豊田村が大野町に吸収合併される
            l l7月31日:「豊田本郷新道」(240m)開通/旧道廃止
               実質的な終点(現61号との接続地点)が、約70m、伊勢原寄りに移動する
 
             9月30日:大野町が平塚市と合併する
 
イメージ 2
僅か半年程度だった大野町時代の開通でした
 
・昭和35(1960)年  4月  l1日:現道路法に基き、〔93〕下糟屋平塚線に改められる
 
  当時の終点は、(何故か)豊田本郷旧道の南口(豊田本郷1795)に設定されていた
  その為、現道接続地点(実質終点)と旧道接続地点の間の約70mは、現61号と重複していた
 
・昭和45(1970)年頃:渋田川放水路建設に伴い、起点部に渋田新橋が架橋される
・昭和46(1971)年 3月31日:伊勢原町が伊勢原市となる
・昭和53(1978)年 L2月21日:現22号の「下糟屋バイパス」部分開通
 
 畠田橋(現畠田橋西)-塚田間の本線と、塚田-菖蒲田間の新旧連絡区間が開通する
 旧道は県道のまま「下糟屋支線」となり、現605号の起点が現22号本線から支線に変わる
 
イメージ 5
小田厚本線の4車線化/分離化措置と連動した動きです
 
・昭和58(1984)年 11月15日:渋田川沿いの渋田新橋-西川橋間(0.4㎞)拡幅完了
・昭和59(1984)年  l4 l3日:同西川橋-(仮)大田橋北間(0.8㎞)拡幅完了
※拡幅前は大部分が、1.5車線どころか1車線だったらしい
 
・昭和59(1984)年  l8月14日:現61号の「豊田バイパス」(0.2㎞)開通
 現605号の起点が、バイパス開通で生じた「豊田旧道」(0.25㎞)の区間内となる
 
・時期不明:豊田旧道の現61号の指定解除
 
 これに伴い、現605号の終点が「本郷1795」から豊田BP北口の豊田本郷交差点に移動する
 同時に、豊田本郷交差点から30mは平塚駅方面(西→東)への一方通行となった
 その為、現605号を起点(下糟屋)側から完走する事が出来なくなる
 
・昭和61(1986)年  3月3日:豊田本郷から北に伸びる「岡崎バイパス」が全線開通
 これにより、現61号の平塚-伊勢原間の3バイパス(中原・豊田・岡崎)が全線開通となった
 
イメージ 3
 
             3月31日:「下糟屋支線」の現605号起点以西の県道指定が解除される
                   これにより、支線が実質的に605号となる
 
イメージ 4
残存部分は現605号に編入すればスッキリしたのに・・・
 
・平成 2(1990)年 ll8月21日:(仮)大田橋北-八幡神社前間(0.2㎞)拡幅完了
・平成 5(1993)年:県道番号制定。県道605号下糟屋平塚線(整理番号93)となる
 
 
【接続国県道】
 
県道22号支線(起点・渋田新橋北詰)、県道44号(下谷)、県道61号(終点・豊田本郷)
 
【通過自治体】
 
伊勢原市 → 平塚市
 
【都市計画道路指定区間】
 
・該当なし
 
信号数:9箇所(2014年1月現在)
 
車線数:2~1.5車線
 
撮影日2014年1月19日
 
所要時間:9分
 
平均時速:34.7㎞/h
 
【規制】
 
・終点部、西から東への一方通行
 
【沿線・周辺の主な施設等】
 
鈴川産業スクエア、石田牧場、あやめの里、伊勢原IC(小田厚)、平塚豊田郵便局
 
概要:省略
 
 
 
 
- 終り-                                    19日 22時20分  公開
 
 
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春爛漫の相模平野巡り:美しき春の605号
 
ここは良いトコ相模平野:美しき冬の(以下ry
 
 
  更新履歴                                                      .
 
【変更】 3月27日:動画サイズ(W480 → 530へ)
【追加】 3月31日:(仮)大田橋北-八幡神社前間の拡幅完了日
 
 

「2・14爆雪」個人的まとめ

 
先週の大雪を「豪雪」と言うならば、今回は「爆雪」でしょう。それくらい、酷かった。。
 
 
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我々の知る603号では無い。。
 
 
某友人の言葉を(勝手に)借りるなら、こう言う表現になる。
 
 
まずは15日午後、自宅から実家に向かう道中の惨状を簡単に。
降り止んでから半日経った状況とは思えないほど、どこもかしこも雪だらけだった。
水っぽい雪質もあってか、注意深く歩いてもとにかく滑る。冗談抜きで、アイゼン欲しいレベルだった。
 
 
最も、アイゼン付けて歩いた事は無いんだけど。。
13時頃に自宅を出発。県道603号(上粕屋厚木)を東へ向かうが・・・
 
 
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ど、道道603号ですか?
 
 
凄まじい残雪で歩くところが無い。交通量も少ないので、車道の轍を進む。
厚木で体験できる雪の量じゃねぇよコレ。高1まで住んでた「山の上」でも、ここまで降ったかどうか・・・
 
 
 
因みに道道603号は浦臼停車場線(wiki)だそうな。
北海道からすれば、この程度の雪は日常中の日常なんだろなぁ。。
 
 
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さて、こちら非日常の神奈川603号をモサモサ進み、国道246号との森の里入口交差点。
 
 
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さすがに246は黒々としてるかなと思ったが、603号同様雪だらけ。
小山、御殿場の246なら「またか」と思うだけだが、厚木でこれだと「マジか!」と本気で驚く。。
 
因みに、246を渡る最中におもっきし滑って、自分は自分でも驚くくらい見事な神回避でコケなかったんだけど、肩から掛けてたパソコン入りのカバンがぁーーー。今こうして普通に記事書けてるので何とも無かったようだが、あわやPCお釈迦だった。そんな事もあろうかと、今日は外部HD持ってこなくてヨカッタ。
 
しかしあの見事な神回避、、
信号待ちの車だけでなく、是非ブログの前の皆さんにも見せたかったなー(あー恥ずかしかった
 
 
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603号から続く市道に入り、小田急線の踏切より下り(秦野・小田原)方面。
こんなに真っ白じゃぁ電車なんか、、普通に動いてました(スゲェ
でも、前方で線路を渡っている東名は、この時大変な事に。トラック、全く動いてない・・・
 
 
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前面道路が重度の凍傷状態の東名病院前を抜け、、
 
 
イメージ 7
 
小田厚側道(県道63号別線)の側道じゃない区間(都・本厚木岡津古久線)へ。ここも酷いわ。。
 
 
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東名を潜った後、東名沿いを東へ。
 
 
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モノトーンの銀世界にあって、正に紅一点のツバキの木。
 
 
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雪も寒さもなんのその、メジロくんがちょこまかとお食事中だった。元気だねー。。
 
 
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恩曽川を渡り、、
 
 
イメージ 12
 
厚木のランドマーク、アクストタワーを仰ぎ見る、国道129号との交差点に。
あれ?右折レーンのトラックはウインカーも出さずに止まってる。あ、まさか・・・
 
 
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ずらーーーッ・・・
 
 
やっぱり。みんな東名待ちだ。。
 
 
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遥か先まで連なる車列。いったいどこまで続いてるんだろ・・・
並ぶ車の9割方がトラック。物流の道が、そして物流が止まってしまった。
 
 
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上り線、、
 
 
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下り線共に通行止め。
前回は耐え抜いた東名も、今回は没した。それだけ、今回は尋常でない積雪量だったと言う事だろう。。
 
 
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インター手前の交差点。そこに架るコンクリ製の珍しい歩道橋、酒井歩道橋で国道を渡る。
 
 
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渡れる、ハズ。。
 
 
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橋上より相模原・渋谷方面。
厚木ICへ続く南行きの左車線はびっちり、残りの3車線は空っぽ。恐ろしく対照的だ。
 
 
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かわって平塚方面。小田厚の高架を挟み、南北ふたつの車列が、東名の復活を待ちわびていた。
 
 
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なお、歩道橋上も「南もっさり北スッキリ」の対照的な状況だった。
 
 
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そしてアプローチ部分は全面もっさりと。もう靴びっしょりだ。
 
 
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アクスト前のバス通り。この時はまだ知らなかったが、この日神奈中バスは、朝から全面運休だった。
 
 
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原田トンネル北口より厚木IC料金所。
 
 
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何もかもが通行止めだ。
 
 
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14:26、実家到着。また派手に埋まってんなぁ。雪かき、大変だった。。
 
 
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翌日は朝から快晴。富士山を見に行く、、予定だったんだけどなぁ木曜までは。。
 
 
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日差しと暖かさでだいぶ雪も融けた夕方、チャリでインター近くのスーパーに買い物へ。
ニュースは、通行止めの影響で各地で品薄に、、と言っていたが、幸いここは無縁だった。。
 
 
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帰り際、東名は依然通行止めだった。
そして9時半頃、自宅に帰る途中でも通行止めが続いていたが、、
 
 
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つい先ほどだろうか、遂に解除された。
大動脈、再開。渋滞を示す赤い帯は、血の巡りとも言える物流の復活を、如実に示すようだ。
 
 
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対する一般道。
要衝に位置する厚木、横浜町田の両インターを中心に、鬱血とも言える激しい渋滞が続く。
一方、箱根や20号は鬱血を通り越して壊死状態。20号はともかく、雪国箱根まで落ちるとは。。
ただ、箱根峠の西側(三島側)や箱根新道は無事なので、箱根越え自体は可能だ。
 
 
最深記録更新と言う意味で、今回の大雪が厚木でも記録的だったのかは分らない。
が、生じた悪影響の規模は、間違いなく記録的だろう。いつか降るのだろうか、これ以上の大雪が。。
 
 

 
次は当日からの道路状況。まずは高速道路。
 
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降雪開始から5~10時間後の14日13時半頃。
元々雪の多い新東名の御殿場JCT-長泉沼津間と東富士五湖道路の全線は既に通行止め
一方他路線は、チェーン速度の両規制が掛るものの無事。規制すら掛っていない区間も多々あった。
 
 
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30分後、中央道富士吉田線の全線と本線の小淵沢-須玉の上り線等が新たに通行止めに。
小淵沢—須玉間の上りは急な下り坂が続く為、それが原因だろうか?
 
 
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17時頃。中央道は小淵沢—諏訪間の下りも通行止めとなり、長野側との高速網が分断。
他に関越が本庄児玉まで、圏央道が埼玉—神奈川の大部分と千葉区間の一部を中心に通行止めに。
 
 
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1時間半後、東北道が佐野藤岡まで通行止めに。また小田厚もほぼ全線が通行止めに。
 
 
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20時頃。西側を中心に通行止めが拡大。
甲府昭和以西の中央道、富岡以西の上信越道、両路線を結ぶ長野道及び両路線から
分岐する中部横断道が新たに通行止めに。また横横のほぼ全線も通行止めとなった。
 
 
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30分後、中央道で勝沼-上野原間の上り線と、上野原-大月間の下り線が新たに通行止めに。
これにより山梨県は、高速道路網の観点で「陸の孤島」となった。最も既に、並走する国道20号、
中央線をはじめ、他の陸路も全て止まっていただろうから、全交通網的な意味でも「孤島状態」に
陥っていたと思われる。
 
 
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23時頃。関東全域で通行止めが拡大した。
北側では関越、北関東、外環、常磐の一部が新たに通行止めとなり、群馬、埼玉は県内の全高速道路が通行止めに。南側では千葉県内で富館道路の全線と館山道、圏央道及び接続するアクア連絡道の一部が通行止めに。神奈川県内でも、先週の大雪では規制すら掛らなかった西湘バイパスが全線通行止めに。中央道も、八王子まで通行止めが拡大した。
 
 
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日付が変わり15日(土)1時頃。遂に東名の一部が通行止めに。
上り線は大井松田-清水間、下り線も東京-東名川崎がそれぞれ通行止めに。
 
NHKによると、東名の通行止めはちょうど1時。立ち往生が始まったのは前日19時頃なので、区間内に多くの車両が取り残された状態での「後手」の通行止めとなった。先週同様、絶対に止められないと言う強い意志から極力通行止めを先延ばししたようだが、それがかえって仇となってしまった。
元はと言えば、丸腰で雪の高速を利用した挙句滑って道を塞ぐ愚か者が悪いのだが。。
 
画面では分からない惨状に陥った東名の他にも、北関東や常磐道の一部、
圏央道の茨城区間の全線、アクアライン及び連絡道、横浜新道が新たに通行止めとなった。
 
 
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3時頃。東名の通行止めは、上りは清水-東京間、下りは東京-大井松田に拡大。
中央道も高井戸-八王子間が通行止めとなり、大都市近郊は千葉県内を除き全て通行止めとなった。
 
 
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一夜明け、雪がやんだ後の8時頃。
大きな変化はないが、東名の通行止めは、上りが静岡まで、下りが沼津まで伸びた。
 
 
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一気に飛んで17時20分頃。
千葉、茨城両県では通行止めや規制の解除が進んだが、他は殆ど変化ナシ。
 
 
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22時頃。やはり大きな変化はないが、神奈川県内では西湘バイパスの通行止めが解除された。
 
 
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丸一日後の16日(日)23時頃。
北側の内陸と西側、房総半島を中心に、依然通行止めが続いていた。
 
 
結局、東名の全線通行止め解除は16日(日)22時、中央道は17日(月)23時となった。
 
 
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そして東名では通行止め解除から丸1日経過後も、神奈川県内を中心に激しい渋滞が続いた。
 
 
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上下線ともトラックの洪水・・・。17日23時、愛甲橋より。奥が静岡方面。
こんな東名、初めて見た。この道路の大動脈たる所以を、今更ながら痛感する光景だった。
 
 
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そして今回の大雪による通行止めは、現在も一部路線・区間で続いている。
 
 

 
最後に、一般道の様子を静岡県内のライブカメラから。
 
 
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まずは「麓」の国道246号・小山町生土(標高260m)。真っ白だが、通行に問題は無いようだ。
 
 
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かわって「山上」の国道138号・籠坂峠(標高1104m)付近。
帰宅ラッシュを迎え流れは悪そうだが、こちらもちゃんと流れているようだ。
 
 
翌日。麓と山上で、状況は大きく異なる事となった。
 
 
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麓の246。雪はかなり多いが、路面の大部分は黒々としていた。
右下は旧道の県道394号。交通量の違いから、こちらは黒より白の割合が圧倒的に高かった。
 
 
一方、山上の138号は・・・
 
 
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・・・・( ゚Д゚)
 
 
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う、埋まってる・・・
 
 
籠坂峠、通行止め。
雪に強いこの道がこんなに派手に通行止めになるなんて、ちょっと信じられんかった。。
 
 
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1000m超がダメと言う事で、御殿場市街を挟んで箱根側も通行止め。
写真は標高約500mの深沢東交差点付近。県境の乙女峠は800m超なので、もっと雪深いだろう。
 
 
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実際今回は、籠坂同様雪慣れした箱根路さえも全滅の憂き目に遭った。
 
 
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翌16日の10時過ぎ、籠坂峠は除雪作業の真っ最中だった。
 
 
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一方、富士山を挟んだ富士宮の国道139号は、道の駅朝霧高原から山梨側が通行止め。
この時山梨県は、県全域が丸々孤立状態と言う異常事態に陥っていた。
 
 
そんな山梨に比べればなんて事はないが、神奈川県も大変な目に遭った。
こんな大雪、出来れば二度と御免だが、どうせまた降っちゃうんだろうなぁ・・・
 
 
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因みに厚木市内は、幹線道路(写真は昨晩の環2)ですら未だにこの有様。
クルマのスリップは言うに及ばず、自転車、歩行者も滑って転ばないよう要注意だ。
 
 
幸い、木曜日の雪は無くなったようだ。
 
 
 
-終り-                            19日 18時10分  公開
 
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