2013年07月

神奈川県道612号/比々多旧道(本編)

 
 
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現在の県道612号(上粕屋南金目)の旧道で、1972年に旧道化した「比々多旧道」の調査へ向かう。
話としては、大山新道の続きと言う事になる。
 
 
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まずは、起点・石倉橋から612号を下る。
「②旧道」分岐から東名までは、広い空の下を一直線に進む開放的な快走路が続く。
 
 
東名を潜ると景色が一変し、都市部らしい住宅地に。その直後、、
 
 
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向原(むかいはら)の交差点に。ここが比々多旧道との新旧分岐地点で、当該旧道は右折となる。
左右とも矢倉沢往還/県道厚木御殿場線(現246)だが、現在の612号だったのは右方向のみだ。
 
 
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で、右方向、幅員は横断歩道4本分。信号が無ければ気付かずに通過する自信しかない(汗)
 
 
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のっけから本気モードの旧道へ、いざ進入。
この狭さ、チャリだとさほど気にならないが、クルマだと文頭に「意を決して」と付くレベルだ。
 
 
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緩やかな下りで始まった道は更に狭まり、もはや離合不能。あれ、チャリなのに心の余裕が・・・
現道、今まで「右折レーンが」とか「歩道が」とか散々言ってきたが、旧道に比べたら高速道路じゃん。
 
 
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三差路でもある屈曲型の左カーブを曲がると幅員が幾らか広がり、一安心。
右に別れる細道の半分程度は暗渠で、三差路左側に小橋特有の「縁石」がある。下は水路らしい。
 
 
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お、縁石手前の路外に古そうな杭発見。水路を渡って裏側から覗いてみると、、
 
 
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神降臨。。
 
 
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県道の証、発見。県章ではなく「神」の文字が入る旧式の境界標(道界杭)だった。
ただ、この杭が現612号時代の物なのか、更に遡って現246時代の物なのかは分からない。
 
 
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カーブを曲がるとすぐに狭くなり、直後、いかにも旧道らしい重厚で古そうな外観の風情ある橋が登場。
その古さ故か、6トンの重量制限が掛かっている。
 
 
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それもそのはず、竣工時期は昭和を飛び越え大正15年。正真正銘、厚木御殿場線時代の橋である。
ただ、「年相応」に黒ずんだ欄干に比べ、親柱は妙に白く、おまけに長い事超重要幹線だった割に、
ぶつけられた痕も少ない気が。もしかすると、親柱は大正生まれではなく昭和生まれの二代目かも。。
 
 
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橋の名は鈴川橋
鈴川に架る橋は数多ある中で、その河川名を冠しているのは、やはりこの道が当時鈴川で
最も重要な橋だったからだろう。橋名の力強い筆跡に、その自負が強く顕れているように思う。
因みに、下流に架る現246の橋は「新鈴川橋」ではなく「神戸橋」である。
 
 
なお、この鈴川橋については、かすがさんが昨年訪問され、『再び厚木伊勢原 (4) 鈴川橋 』にまとめておられる。この旧道に本格的な興味を持ったきっかけは、正にこの記事である。「大正かい!!」と。。
それから約半年。県報と言う旧道を更に楽める新アイテムも手に入れ、ようやっと参じた訳である。
 
 
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さて、橋の上流側には人道橋・・・では無く水道管専用橋。入らないよ、柵、途中までしかないもん(違
 
 
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上流側の様子。水面より緑の割合が圧倒的に高い「むさい」川が、ガードフェンスを引き連れ右にカーブしている。その最中を、アーチ状の防音壁が特徴的な東名がさらっと通過。橋の名前はこの橋と同じ「鈴川橋」だそな。ダブル鈴川橋。。
 
 
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下流側。こちらも右にカーブしている。と言う事は、橋はS字カーブの丁度中間付近に架っている訳だ。
 
 
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橋を渡り、振り返って石倉橋/厚木方面。こちら側の標識は向かって右側に立っている。
 
 
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左側親柱。竣工年が達筆な字で刻まれている。先に反対側を見ていないと判読困難かも。。
 
 
一方の右側には、橋名が記されているのだが、、
 
 
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・・・読めん。。
 
達筆かつ古風なひらがなで「すづかわばし」とあるが、ゆとり世代の現代人には辛いレベル。
一番下の「し」とか、最初ヒビかと思ったぞい。まぁでも、この方が古い橋っぽい。。
 
 
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なお、袂左側には地蔵らしき石仏。建立は昭和47年1月。奇しくもこの道が旧道になった年である。
隣に「伊勢原市神戸中」とあるので、地元の中学校が建てた物、、と思った神戸中なんて無い訳で。
誰が一体、何の目的で建てた地蔵なんだろう。。
 
 
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下流側より橋全景。真ん中に台形の橋脚が入る二径間の桁橋である。
竣工から今年で93年。彼岸からのお迎えの足音が、日に日に大きくなる。
 
 
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さて、橋を渡った先は急な左カーブになっているが、これを曲がると・・・
 
 
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狭。。
 
 
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道幅確認。うん、橋上より狭い(泣)。おまけに、沿道は近代的な建物ばかりが揃って古道らしさを欠き、
悪い意味で「狭さ」ばかりが強調されている。幅・雰囲気の両面で、この区間は道中最悪の難所だろう。
 
 
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橋から緩やかに下った後、右にカーブ。建物に挟まれ、圧迫感が強い。。
 
 
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カーブを曲がると幾らか広がる。だが、依然普通車同士の離合は困難だ。
 
 
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カーブ出口から緩やかな登り坂に。右側にはマイチャリのそっくりさん。いいな、新車。交換しない?(オイ
左側が空き地になった事で強烈な圧迫感は解消されたが、道幅は相変わらずだ。。
 
 
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横断歩道の手前で左側が街渠分ほど狭くなり、回復しかけた幅員が元の木阿弥に。
 
 
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そして間もなく、奥側に横断歩道の引かれた三差路に。
左方向が、微妙な鈍角と滑らかなエッジで誘惑してくるが、ここは直進である。
 
ただ、左折先の「ニセ旧道」は全線旧道と並走し、途中からは2車線になる。
「狭い道もうイヤ!!」と思ったら左折するのもアリだろう。いやしかし、冗談抜きで狭いよこの道。。
 
 
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三差路を過ぎると、右カーブに差し掛かると同時に、ほぼ水平に。そして、カーブを曲がると、、
 
 
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一時停止の丁字路に。案内どころか「止まれ」の標識さえないが、旧道はここを左折する。
 
 
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左折先より三差路。「旧道右折」の目印は、一見すると横断歩道だけだが、、
 
 
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右に張り出した左側の路肩部分も、「旧道右折」を示唆している。昔は奇麗な直線では無かったのだ。
 
 
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横断歩道側の角には、「三之宮比々多神社参道」と刻まれた石碑(道標)が佇んでいた。
その通り、直進方向は相模国三乃宮・比々多神社の参道。ここは往還と参道の「追分」だったのだ。
因みに、一之宮は寒川神社(寒川町)、二之宮は川勾神社(二宮町)、四之宮は前鳥神社(平塚市)。
 
 
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建立は鈴川橋完成から3年後の昭和3年11月。大正に昭和一桁。タイムカプセルのような旧道である。
 
 
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三差路からは緩やか下り坂に。
 
 
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古くからの集落らしい、重厚な壁や豊富な緑の狭間を微妙に蛇行しながら細々と進む旧道。
さながら旧道の見本のようなその姿は、とても印象的だった。良いな、この旧道。。
 
なお、三差路以降は東名側道と246を結ぶ抜け道となる為、交通量が激増する。
あんまりぼーっと見惚れてると轢かれるので要注意>俺
 
 
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三差路直後に建つお店。
広い「おでこ」に昭和が薫るレトロな外観が、旧道の雰囲気をより一層引き立てる。
 
 
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ブロック塀に挟まれた後、横断歩道付きの三差路を通過。相変わらずの4本、、いや3.5本か。。
左折すると先のニセ旧道に合流し、ニセ旧道はそこから2車線になる。
 
 
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木造の公民館と小料理屋さんの間を通過。どちらも旧道らしい、年季の入った建物だ。
 
 
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右側の街渠が蓋を並べた旧式からスリット入りの最新式に変わると同時に、緩やかな左カーブに。
 
 
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カーブを抜けると、見通しの悪い十字路に。ミラーはあるが「+」のペイントは無い。そして間もなく、、
 
 
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旧道終点・国道246号/県道612号との比々多交差点となる。
交差点直前は狭い為、寸足らずの停止線は交差点に対しかなりセットバックしている。信号遠・・・
その直前には「30㎞/h規制ここまで」。初耳だよ、その規制。ってか邪魔だよそんなトコ立ってたら。。
 
 
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消防団の建物と比々多交番を挟み、交差点部。スムーズな離合は交差点内でしか出来ない。
左方向は新設、右方向は現拡と同じ規格でも出自が全く異なる。見た目は全く同じなので分らないが。
 
 
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振り返る。石倉橋方面への通り抜けが(一応)可能な為、大型車進入禁止の規制が掛る。
裏を返せば、この規制が掛る道は、殆どの場合他の主要道路に抜けられる。そしてそれが、
この道のように旧道である場合も多々ある。この規制は「旧道発見器」の側面も持つ訳だ。
 
 
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新道である国道厚木/県道大山方面。すぐそこに歩道橋が架る。
所在地の「神戸」の読みは「ごうど」。隣は「三ノ宮」だが、「こうべ」では無い(関西の人限定ネタ
 
 
さて、旧道はここまでだが、折角なのでこのまま真っ直ぐ進んでみる。
矢倉沢往還では無いが、それと同じ古道であり、往時は現在の県道63号(相模原大磯)
抜けていた。圃場整備や工業団地開発により、現在は大部分が消滅している(代替路はある)。
 
 
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246を渡った直後の様子。相変わらずの狭さで、信号待ちの際はマンションの駐車場を借りる事になる。
 
 
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集落内を緩やかに下る。離合困難だが、旧道区間と一続きの抜け道と言う事で交通量は多い。
 
 
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浅い掘割の出口でミラー付きの交差点に。若干だがここから幅員が広がり、離合が幾らか楽になる。。
 
 
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ミラー付きの三差路で更に幅員が広がり、ほぼ2車線に。ふむ、これがウワサの「ミラー効果」か(違
そして、勾配がほぼ無くなった後、、
 
 
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246に並走する幹線市道にぶつかり、終了となる。
 
 
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市道は246の抜け道で、別の古道である右方向は笠窪公民館前で612号に合流する。
 
 
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612号の抜け道の中では、特に桜坂が混む大山方面は、恐らくこのルートが最速ではないかと。
東名側道-現在地間は先に見た通りの狭さなので、使わずに済むならそれに越した事は無いが。。
 
 

 
おまけ。。
ここからは帰路となるが、その道中の気になる道を簡単にご紹介。
 
 
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「現在地」を左折すると、間もなく内陸伊勢原工業団地の中へ。
 
 
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程なく、612号の延長線上にある名も無き信号交差点に。ここから、工業団地らしい規制が始まった。
 
 
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曜日指定の駐車禁止。時間指定は結構良く見るが、曜日指定は初めて見た(と思う)。
 
 
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そんな「ご当地規制」は、1ブロック先、工業団地の東端に当たる次の信号で終了。
この後、住宅地内をごにょごにょ進み、2ブロック南側を並走する「(都)田中笠窪線(16m)」へ。
 
 
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伊勢原市街に入り、県道61号(平塚伊勢原)との武道館入口交差点。ここを過ぎると、、
 
 
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次の丁字路でブッツン。以降、起点・県道44号(伊勢原藤沢)まで全線未開通となっている。
 
 
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用地右端に沿って、次の交差点までは歩道が先行整備されているが、その先は手付かず。
谷地形で、路面の高さによっては大掛かりな構造物(築堤or高架)が必要になりそうだ。
 
 
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谷を越え、十二柱神社の前
ここから先は「Ⅰ期区間」として工事が進んでいる。いや、厳密には「進んでいた」か。。
 
 
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全く変わっとらんね、昨夏と。。
 
 
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開放感ある景色の中、真正面に要塞のような東海大学病院を望む道。
沿道の果樹園用に、一部は仮舗装された上で、ほぼ2車線分で先行開放されている。
 
 
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再びダートに戻った後、起点・市役所入口直後の44号に斜めにぶつかり終了。
左折するとすぐに246となり、右折すると藤沢方面へ向かう。
 
 
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言うまでもなく、日中は市役所前を先頭に渋滞する44号。
こんな所に幹線道路繋げて、余計渋滞が悪化しなければ良いが。。
 
なお、並走関係にある246自体は、平塚・大磯・工業団地各方面への車両が都計道に分散する為、間違いなく渋滞が緩和されるだろう(左折車増加による速度低下で市役所前の渋滞が悪化する可能性はあるが)。アテにならんしやる気も無い厚秦なんかより、こう言う細かい都計道の整備を進めてくれた方がよっぽど有意義だと思うんだが。。
 
 
さて、この後は一続きの63号を北上し、、
 
 
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10時半前に厚木へ帰還。ふー熱かった。気温も、そして道も。。
 
 
 
-終り-                               31日 10時15分  公開
 

神奈川県道612号/比々多旧道(前置き)

 
伊勢原市上粕屋から秦野市の鶴巻温泉を経て平塚市南金目を結ぶ県道612号(上粕屋南金目)
伊勢原市内のうち、起点・石倉橋から国道246号までの1.8㎞は、「(都)上粕屋南金目線(12m)」
として整備された直線的な快走路となっているが、整備前は全線に渡り非常に狭隘(ほぼ1車線)で、線形不良個所も多数存在していた。前身は「大山道(秦野方面)」だが、それがそのまま舗道化したと言える。いや、改良前に舗装されていたかどうかもアヤシイが。。
 
 
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改良の結果、この区間では計4箇所の旧道が生まれた。
その中で最も南に位置し、最も距離の長い「④比々多旧道」が、今回の調査対象である。
 
なお、手前の3箇所については、以前簡単に取り上げたので、そちらをご参照頂きたい。
因みに、「①石倉旧道」の部分に関してだが、、
 
 
「大山新道が出来ると県道612号の経路は旧道時代とほぼ同じ状態に戻ります」
 
 
戻りません。。
 
 
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で、比々多旧道の誕生時期は、昭和47(1972)年11月17日。幹線県道にしては遅いと言える。
 
「三之宮(正確には三ノ宮)874番地」は「②三ノ宮北旧道」の出口の住所なので、そこから東名高速を挟んで246まで、現道拡幅区間も含めて一気に開通したようだ。ただ、「③三ノ宮南旧道」は昭和44(1969)年3月に開通した東名により末端部が寸断された為、ガード前後は先行開通していたようだ。
 
 
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                 三ノ宮北旧道。夏場はひまわりが「神」の居場所を教えてくれる。
 
 
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                             三ノ宮南旧道。往く手を東名高速が拒む。。
 
 
比々多旧道の最終的な肩書は「上粕屋南金目線」だが、その前身は、246のご先祖に当たる
「矢倉沢往還」。つまりこの区間は、現612号の旧道である以前に、現246の旧道でもあるのだ。
その点で、他の3旧道とは「毛並」が全く異なる。道幅はそんなに変わらんけどね(笑)
 
 
初めて県道に指定されたのは大正9(1920)年4月で、当時は「県道厚木御殿場線(武相県道)」だった。当時、上粕屋南金目線はまだ無かった(制定時期は調査中)。但し、比々多-鶴巻間は旧厚木御殿場線。当時の同線は善波峠を避け鶴巻・曽屋経由で秦野市街に入っていた。切替時期は不明。
 
 
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上粕屋南金目線の指定が、比々多旧道が厚木御殿場線だった時代であれば、旧道が両県道の重複区間だった時期が存在する事になる。因みに、厚木御殿場線が東京沼津線に変わったのは1955年3月。東京沼津線が246(当時は二級国道東京沼津線)に変わったのは翌56年7月。一方、旧道の物理的な旧道化(現246の開通)は遅くとも終戦直後(実際は多分戦前。246は軍事面から各所で改良が進められていたらしい)なので、旧道が東京沼津線や246だった時代は無い。
 
また、現612号の新道についても、原型は同じ頃から既にあった(画像中央の縦向きの直線)。
県道では無かったこの現道を改良した後、県道指定したと言う事になるようだ。。
 
 
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なお、この区間が旧現612号だと知ったのは、かすがさんとの県都・横浜での資料収集の際だった。
矢倉沢往還である事は把握していたが、かつて現612号だった事までは見抜けなかった。
そしてこの旧道、実はかすがさんとも深い関わりがある道なのである。
 
 
前置きが長くなった。と言うか長すぎて本編が文字制限に引っ掛かった。オワタorz
と言う訳で、実際の様子は次回(スミマセン)。ハァ、画像全部貼り直しかぁ。。
 
 
 
 
-続く-                                                                       31日 10時15分  公開
 

大山新道工事状況(後編)

 
県道611号(大山板戸)のバイパス、大山新道(当局HP)の工事現場を起点(伊勢原市街)側から
調査中。「子易平原」を抜け、新東名予定地で一旦途切れた路盤に復帰。大山方面に進むと、、
 
 
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未舗装路が左に別れる分岐地点の直後、Aバリケードが登場。そしてその先には、、
 
 
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祝!!橋完成。。
 
 
鈴川との2度目の交差地点となる橋(位置)が、いつの間にやら架っていた。/(^o^)\ナンテコッタ
せめて1回くらい、架橋前の様子を撮っておきたかったなぁ。と、現地ではしょぼくれていたのだが、、
 
 
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実はちゃんと撮ってありました。。
 
 
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2回も。。
 
 
 
/(^o^)\ナンテコッタ>俺の記憶力
 
 
初回(2年前)は本格着工直後だったが、去年チェックした橋台の完成時期は不明だ。
規模的に、本気出せば半年程度で出来そうなものだが、予算等の都合でこの工期なのだろう。。
 
 
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右岸/下流側にひらがなの、、
 
 
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左折車用に「隅切り」された左岸側/上流側に漢字の河川名板がそれぞれ設けられていた。
一方、肝心要の橋名板は未設置。まだ正式名称が決まっていないらしい。。
 
 
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渡った先は左岸堤防上を通る市道との交差点になるが、その部分の路盤はまだ出来ていない。
特に起点側からの誤進入防止の為に、「未完成」である事を端的に示す為の措置にも思える。
 
 
その真偽はさておき、とにかく橋の先には大きな段差が生じているのだが・・・
 
 
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罠だ、これはワナだ!!
 
 
ジョイント先の基礎から、鉄筋がニョキニョキ。これで串刺しとかシャレにならんよ・・・
 
 
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大山側から振り返る。川の勾配に呼応して、段差は左(下流側)に行くほど大きくなっている。
 
因みに、鉄筋の生えたコンクリ床の設置部分は、車道の直下に当たる中央部分のみ。
あの鉄筋が今後どう活きるのかは不明だが、車道部分の路盤の強度が他の部分より
高く設定されているが故の設備である事は間違いなさそうだ。
 
 
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交差点部の先にはトラバリがあり、その先は既存市道を挟んで再びほぼ完成済みの区間に。
 
 
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そして間もなく、開通済みの末端・Ⅱ期区間の終点となる。その現状等々については後ほど。
 
 
話題を橋に戻す。。
 
 
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銘板は左岸/下流側の側面にあった。
 
 
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(仮称)2号橋。やはりまだ正式名称は無いようだ。。
完成は今年の3月。先述の通り、着工が11年8月頃なので、約1年半ほどで完成したようだ。
 
川島さん、藤本さん、そして工事に携わった全ての方々、お疲れ様でした。
最近の銘板って「キーパーソン」の人名まで入るんだよな。ちょっとカッコイイ。。
 
 
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そんな銘板のある下流側の側面には、L型のアングル(架台)が並ぶ。主は送水管か電配か。。
 
 
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下流側の様子。橋台へと続く左側の新設擁壁が眩しい。
 
 
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上流側の様子。小さな堰堤を挟み、平原からの市道が渡る橋が架っている。
 
 
Aバリ手前の分岐まで戻った後、あの橋を渡り、、
 
 
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Ⅱ期区間の終点、未開通区間の起点となる交差点へ。
 
 
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ここより終点側は、旧道との合流地点まで全線開通済み。
特にⅡ期区間は直線区間が長く、狭い上に見通しの悪い旧道とは比べ物にならない快走路だ。
まぁでもね、それを別の意味で歓迎する某組織も居ようから、あんまりすっ飛ばさん方が良かろう。
 
 
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しかし解せん。この規格で40㎞/hなんて。
 
 
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この規格で40㎞/hなんて。。
 
 
何で狭い現道と広くて真っ直ぐなバイパスの規制速度が一緒なんだろね。。
 
 
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終点側より端点。直線的な下り坂の先にある丁字路とあって、路面は真っ赤、
正面はクッションドラムだらけと物々しい。いかにも部分開通のバイパス道路の末端らしい光景だ。
 
 
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そんな末端より起点方面。
 
 
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右カーブの先に(仮称)2号橋が架り、そこから2度目の長い直線区間に入る。
その途中にある末端から次のほぼ完成済み区間まで、残り僅か。「難所」の橋も完成した。
 
当局からの正式なアナウンスは無いが、部分開通は十分可能な状況だ。
最も、新東名の工事用道路として活用し、それが落ち着くまでは一般開放はしない可能性もあるが。
 
また、仮に部分開通した場合に現道とのアクセス路となる市道は、これから本格的に忙しくなる新東名予定地を突っ切る上に、現在のアクセス路より距離が長い等、条件が良くない。過去2度の部分開通時には無かったそれらの負の要素が重視されれば、仮に道自体が完成しても供用は見送られるかも。。
 
 
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未開通区間の現状まとめ。端点から7割程は、ほぼ完成済みか工事中だ。
今後は、「1号橋」を含む起点側の未着手区間の着工時期が気になる所だ。
 
 
さて、新道の調査はこれにて終了。関連して、もうひとつ調べたい事がある。
旧道の県道指定はどうなってるの?と言う疑問の答えである。
 
 
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ヤフーの地図ではⅠ期並走区間Ⅱ期並走区間共に県道のままになっているが、
新道完成後の旧道は、よほどの事が無い限り、数年以内に各自治体に移管されるのが基本。
その原則に照らすと、地図の言う「全線現役」には大きな疑問符が付く。と言う訳で、次は旧道へ。
 
 
調査方法は至って簡単。旧道の起点/終点となる連絡路との分岐地点の路面に、それを示すスプレーペイントがあるかどうかを確認するだけだ。ペイントがあれば現役、無ければ格下げされた市道と言う事になる。ただ、ペイント施行後に格下げされ、見た目は現役だが実は市道と言う厄介な状況も考えられるので、絶対では無いのだが。。
 
 
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新道端点から旧道へ。古くからの集落内を細々と進む急坂が延々と続く。
 
 
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そこを結構な頻度で登り下りするフルサイズのバスも大変である。
バイパス開通で交通量は減ったが、沿線には延々と集落が続く為、今でも車はそこそこ通る。
集落から外れた新道にバス路線を移す事は利便性の面で難があり、今後もこの「窮屈」な景色が続く。
 
 
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勾配が「中休み」に入る子易のバス停付近で、Ⅰ期区間の連絡路との三差路(位置)に。
 
 
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お、このペイントはッ!!・・・「起点から2㎞」を示すペイントでした(´・ω・`)
だが、これがあると言う事は、Ⅱ期区間に関しては現役確定と言う事になる。半分解明。。
 
 
小さな三差路を過ぎ、Ⅱ期区間からⅠ期区間へ。すると・・・
 
 
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丁度それっぽい継ぎ目の位置に、また別のペイントが登場。(撮り方下手で)出オチですが、、
 
 
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ここが県道の終点(Ending Point)である事を示すペイントだった。三差路以降の旧道も現役だった。
ヤフーの地図は正しかった。そう言う事で一件落着。・・・と行かないのが、611号の厄介な所。。
 
 
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EPペイントの直後、またペイントが登場。オイオイまさか・・・
 
 
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611-旧1 BP(Beginning Point)
 
 
・・・やっぱり、そうなのね。。
 
 
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こう言う事なのね。。
 
 
以前全く同じ光景を、他ならぬこの道で見ているので別に驚かないが(参照)、疑問は尽きない。
何故この短距離だけ県道として残すのか、そしていちいち「支線」として独立させるのか。ホント謎。。
 
 
と言う訳で、Ⅰ期区間はほぼ全線が格下げされていた。
ヤフー地図、全体では約半分合ってたが、Ⅰ期に限れば3%(20/770m)分しか合って無かったね。。
 
 
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実際、BPペイントの脇にある「右カーブ注意」のネームシールは「伊勢原市」になっており、、
 
 
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カーブの最中にある街灯も、、
 
 
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4桁の数字の下に「神奈川県」と入っているシールが「綺麗」に消されていた。
 
 
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向かいの警戒標識のシールは「神奈川県」のままだったが。しかも「県」の字、変だぜ。。
 
 
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まとめると、こういう事になるようだ。
新道Ⅱ期区間に関しては、未だに「本線」ではなく「支線」の扱いらしい。。
新道が全通すれば、旧道は本線・支線(含連絡路)問わず、全線が市道に格下げされよう。
ただ、石倉-石倉橋間については、県道603号(上粕屋厚木)に「衣替え」されるかも。。
 
 
さて、旧道調査はこれにて終了。
これで611の「全撮」の際、どういう経路(本線)を辿れば良いか分かった(それが目的だった)。
 
 
イメージ 39
 
一段下の新道には下りず、そのまま旧道(この区間は本線)を下る。
 
 
イメージ 43
 
Ⅱ期区間との合流地点(写真は進行方向の反対側から)を通過し、、
 
 
イメージ 42
 
新東名との交差予定地(同)へ。
除草中との事だが、事業主がネクスコ中日本ではなく県の広域幹線事務所だった。
「除草委託業務」とあるので、県が高速道路会社の委託を受けて進めているようだ。
 
 
イメージ 41
 
名古屋方面。
骸骨同然の白い基礎の奥に、新道の白い法面が見える。同じ「白」でも、その意味合いはまるで違う。
 
 
イメージ 44
 
振り返って東京方面。こちらも広大な空き地が伸びる。
「除草」のお陰なのか、そこに生い茂る草は牧草のように大人しく、爽やかな印象だった
 
 
611号に関する調査はこれで終了。603号BP、新東名、厚秦飛ばして大山新道の各工事
が熱を帯び、いよいよ騒がしくなってきた大山の麓を離れ、今旅最後の目的地へ向かう。
 
 
「新」が主役だったこれまでとは一転、次の主役は筋金入りの「旧」である。
 
 
 
 
-終り-                               29日 21時25分  公開
 

大山新道工事状況(前編)

 
大山の麓を迷走中。「(都)西富岡石倉線」の調査を終え、「大山新道」の調査に移った。
 
大山新道は主要観光地・大山のメイン登山口と国道246号を結ぶ県道611号(大山板戸)のバイ
パスで、県道612号(上粕屋南金目)との石倉橋以西の狭隘な現道(大山街道)をバイパスする。
 
大山へのアクセス道路である上、沿線には古くからの集落が発達し、特に観光シーズンは交通量が
多い。石倉橋以降は勾配も急で、歩車共に危険な状態に陥っている。新道は、その解消を目指す。
 
 
イメージ 7
 
位置図(クリックするとちょいデカくなります)。
 
611号自体は大山が起点だが、新道は大山側が終点となっている。
その大山側から順次開通区間が伸び、現在はほぼ半分が開通済みだ。
 
未開通区間の終点(上流側)から約500mの地点に、現道とを結ぶ既存道路(連絡路)があるが、
ここまでをⅢ期区間として先行開通させるのか、起点までの一括全線開通を目指すのかは不明だ。
 
 
起点はスタート間もない612号で、現道とは直結していない。612号や603号BPとの行き来は単純だが、611号板戸(246)方面との行き来は進路変更が立て続く為、いささか煩わしい&分かり辛い印象だ。
因みに、都市計画道路には指定されておらず、単純な県道の改良事業の位置付けである。
 
 
起点側から見ていく。まずは石倉橋から当地起点の612号へ。
 
 
イメージ 1
 
数秒で大山新道起点予定地の左カーブへ。旧道がすぐ外側を走っている。
603号BPで触れた規制標識同様、カーブ用の警戒標識も新しくなっていた。
 
 
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やけに背が低かった先代。
本体はくすみ、支柱はボロボロ。ドライバーより自身の「健康」を案じた方が良いような状況だった。
 
 
そんなご老体に引導を渡したカーブだが、道路自体は一切変化が無かった。
出口側から旧道に入り、中ほどの分岐を左折し、新道予定地沿いを進む細道へ。
 
 
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厚秦予定地との交差地点。こちらも全く変化ナシ。来る度に、杭の年季だけが増している。
そんな「杭の墓場」状態の予定地と山手で交差している新道にも、特に進展は見られなかった。
 
 
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鈴川を渡り直し、新道のある右岸から対岸の左岸へ。この橋より上流側に、右岸側を遡れる道は無い。
 
 
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まだ新しそうなヘアピン状のスロープを登り、現道の走る集落内へ。
 
 
イメージ 10
 
折り返し地点より対岸の様子。おお、見える見える。
 
 
イメージ 11
 
右前方、削り掛けの法面が見えた。
 
 
イメージ 2
 
そして正面では、民家の裏手に工事用バリケードが覗いていた。これは前回訪問時には無かった。
ゆっくりとではあるが、上流側から着実に、工事は進んで来ているようだ。
 
 
イメージ 3
 
スロープを上がると、カラフルな花壇に彩られた立派な石仏が登場。
 
 
イメージ 4
 
傍らの解説曰く、大山道の道標だそうな。庚申塔かと思った。
 
劣化が酷いようで、周囲には転倒防止の枠が組まれ、崖際の奥側角には落下防止のフェンスも
設けられており(落差が大きく万一破片が人に当たったら大ごとだからであろう)、かなり物々しい。
不動明王様もさぞ窮屈だろうに。「造立の年代は不明」とあるが、造立の背景にある「大山詣」流行
ったのは江戸後期なので、最も遅い江戸末期の造立だとしても、100年は優に越えている事になる。
 
 
そう言えばこの道標、以前新聞で取り上げられてたな。枠がかなり印象的だったから思い出した。
新東名の建設やら何やらで、ロクに保存・実態調査もされないまま大量消滅の危機に瀕してるとか。
材料に使われている地場産の「丹沢石」が元々風化しやすい性質である事も一因だそうな。
 
過去があっての今・未来な訳だから、過去を語るこうした道標やその類は、極力残してもらいたいな。
余談になるが、その意味でも道路の改良は現道拡幅よりバイパスの方が私は嬉しい。目的はどちらも同じだが、特に由緒ある街道では、旅情と同義の風情ある街並みを失う現拡は、正直惜しい。
 
 
イメージ 12
 
解説。「元は石倉橋の交差点の所にあった」。あッ、、
 
 
イメージ 13
 
あったね、そう言えば。。
 
 
イメージ 14
 
なんだ、あの道標だったのか。新聞云々以前に、生で見てたわ。。
 
 
イメージ 26
 
こんな看板も撮ってたわ。。
 
 
嗚呼鳥のような記憶力orz。完っ全に忘れてた。とにかく、お久しぶりです。。
 
 
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あと、前回喉元まで出かかって結局言わなかったんだが(手抜き)、板戸方面の大山街道は
現在の611号とは別ルート。つまり、狭い611号もあれで一応「新大山街道」に当たる訳だ。
 
 
イメージ 29
 
ついでなので、解説中の各ルートをまとめてみた。
611号の旧道・現道に当たるオレンジルート(平塚・田村方面)のうち、グリーンルート(秦野方面)との分岐-611号合流間は現道が存在しない(消滅)。新道(現611号)の整備により、宅地や畑に転用されてしまったようだ。由緒正しき大山道の、しかも大山目前の交通量(人通り)の多い区間でも、そんな事が起こるんだねぇ。因みに、現611号の整備時期は不明である(戦前なのは確か)。
 
 
さて、運転再開。鈴川沿いを遡る。。
 
 
イメージ 15
 
ん?
 
 
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伸びたな、少し。。
 
 
次の工事現場の上流側末端が、前回より奥に移動していた。これは嬉しい進展だ。
 
 
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一旦、強制的に現道に戻った後、石倉三差路の先を左折して木橋を渡り、再び鈴川の右岸側へ。
 
 
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側溝沿いの、道なのか畑の畔なのか判然としない草の小道を進み、新道に脱出(当写真昨夏)。
 
 
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延伸部分も気になるが、まずは左手の逆方向へ。・・・変わってないな、昨夏と何も。強いて言えば、、
 
 
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土嚢のバリアが無くなったくらいか。。
 
 
イメージ 21
 
振り返って大山方面。こちらも旧末端部まで全く変化なし。舗装の「鮮度」が落ちたくらい。。
 
 
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舗装末端から更に下流側へ進み、仮設の掘割区間。先程スロープから見えた法面の主である。
掘割の先が気になったので、ちょいと入ってみよう。
 
 
イメージ 23
 
仮設なので、幅員は普通車同士がギリギリ離合出来る程度。 中ほどにサミットがあり、越えると、、
 
 
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少し下った先で、可動式の柵が登場し、往く手を拒む。ただ、事業規模の割に簡素な印象だ。
 
 
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柵の向こう側にはトラバリで囲まれた一角。
 
 
イメージ 17
 
603号BP同様、埋蔵文化財の調査中のようだ。
右端のラインが掘割側の斜面に隠れている事から、掘割はまだ右側に大きく広げる必要があるようだ。
 
 
イメージ 30
 
そんな掘割の足元は削ったままの岩肌で、中には丹沢特有の「玉ねぎ石」が混じる。
その名の通り、玉ねぎの実のように外側から簡単にはがれる。非常に脆い性質だ。
 
 
イメージ 31
 
そんな訳でこの法面も、コンクリで固めるまで脆くて崩れやすい、危なっかしい状況が続く。
まぁ大きな塊がいきなりゴロッと、、とかは無いと思うが、大きな地震とか来たらどうなるかワカラン。
 
 
イメージ 32
 
舗装区間まで戻った。次はいよいよ(私が)お待ちかねの延伸部へ向かう。
大山を正面に頂くこちらも新道自体に変化は無いが、その外側の景色には変化が起きていた。。
 
 
イメージ 33
 
対岸側、新東名の予定地で何やら新しい作業が始まっていた。トラバリからして、内容は察しが付くが。
 
 
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勾配が増した後、既存道路との交差点直前で舗装他が途絶。そして砂利の急坂を上がれば、、
 
 
イメージ 35
 
祝!!延伸。。
 
 
荒れた藪が、初々しい道路に大変身。と言っても、さっき遠望した通り、、
 
 
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ほんのわずかな距離なんだが。50mあるか無いか、その程度である。
新たな末端の先は新東名の予定地と重なっている為、「取り合い」が必要なのだろうか。。
 
 
イメージ 51
 
2年前の様子。一応、工事車両用の「道」ではあった。。
 
 
イメージ 28
 
右を向けば、鈴川を挟んで新東名の工事現場。
川沿いの笹薮が邪魔で、周囲より高い割にあまり良く見えなかった。。
 
 
イメージ 37
 
こんな感じの高架橋が出来るんかな。
イメージは超適当です。言わずもがなですが、間違ってもこの落書き通りに出来ると思わないで下さい。
 
 
イメージ 38
 
川側より交差点。新道開通に伴う各種変化(止まれペイントの追加等)が起きる前の現状を記録する。
部分開通があるとすれば、この交差点が「3代目末端」と言う事になるが、果たして。。
 
 
イメージ 41
 
ようこそ地上へ。
工事のせいで、羽化できなかったのもいっぱい居るんだろうなぁ。。
 
 
さて、この区間の調査は終了。次の区間へ向け、コンクリ舗装の市道を登る。。
 
 
イメージ 42
 
小川の谷間とは思えぬ開放的な空間を進むと、右前方にブルーシートで覆われた土山が出現。
 
 
イメージ 43
 
新東名の工事現場で出た残土っぽい。この道の幅からして、チビダンプでちょこまか運んだようだ。
 
 
イメージ 44
 
続いて、休憩所らしきプレハブ・テントと共にふたつ目の山出現。こちらは正に今増量中らしい。
 
 
イメージ 45
 
日陰が嬉しい直後の右カーブ。左に、本線よりさらにか細い道が分岐しているが、、
 
 
イメージ 46
 
あ、その先に新しい発掘現場が。現時点で(仮)大山トンネルに最も近い現場だろう。
すんごく見に行きたいが、既に作業が始まっており、近寄り難い雰囲気なので今回は諦めた。チキン。。
 
 
イメージ 47
 
やったら幅広な新東名予定地を過ぎると、入れ替わる形で大山新道が登場。
 
 
イメージ 48
 
新道直結の階段。切れ込みの先に路面が見える。
 
 
イメージ 39
 
最近の階段と言う事で、チャリにもバッチリ対応、、なのかね。押すにしても、階段が狭い気が・・・
 
 
イメージ 40
 
と思ったが、実際には何の問題もなく通れた。
最も、ここにチャリ持ち込む変人が一体どれだけいるかと言う話で。せいぜいネコ車くらいだろう。。
 
 
イメージ 49
 
新道に降り、右手の下流方面。直線道路が結構先まで伸びているが、、
 
 
イメージ 50
 
なにやら草刈り中だったので、端点までは行かなかった。
別に立入禁止ではないが、かといって部外者が大手を振って通れる道でもなかろう。自重である。。
 
 
イメージ 56
 
因みにこの場所、2年前の夏は完全な藪だった。。
湿地の気があったので、路盤整備は結構手間食ったんではないかと。。
 
 
イメージ 55
 
当時は、この法面の継ぎ目が完成部と未完成部の境界だった。
 
 
イメージ 57
 
すんごく露骨な。。
 
 
その奇妙奇天烈さに強烈な違和感を覚えたこの光景も、今となっては良い(?)思い出ですな。
とにもかくにも、階段付近から下流側はここ2年ほどで新たに整備された区間と言う事になる。
 
 
イメージ 58
 
旧末端付近からは、側道も付いた。ずいぶん立派だが、対岸とでも繋げる計画でも?
 
 
イメージ 59
 
振り返って上流側。「高規格側道」も気になるが、それ以上に気になる物がある。言わずもがな、、
 
 
イメージ 60
 
左側のこのスペースである。
 
 
イメージ 61
 
下流側は階段まで。と言う事は、歩道なのかなとも思ったが、、
 
 
イメージ 62
 
上流側は、法面の末端で終了。敷地外からの本設の側溝が法面のラインより車道側で、
しかも勾配付きで末端の集水升に飛び込んでいる通り、延伸を見越した構造にはなっていない。
 
奇妙な最後を迎えるこの歩道状の道路余地、恐らくその正体は農家の為の駐車スペースだろう。
新道沿いの畑での農作業の際に、軽トラ等を安全に止めておけるスペースを確保したのだろう。
 
 
よかったね、一件落着・・・と行かないのがこの新道の厄介な所。
と言うのも、実はこの余地、計画変更で削減された歩道用地を転用したものではないかと思うのだ。
 
 
イメージ 53
 
2000年4月に開通したⅠ期区間。両側に歩道が付いている。
 
 
イメージ 54
 
一方、2011年3月に開通したⅡ期区間。現在工事中のⅢ期区間同様、歩道は集落側の右側のみだ。
 
 
イメージ 63
 
しかし、左側の畑の中には、歩道と同じ幅の空白を挟み、買収ラインを示す杭が点在。
 
 
イメージ 64
 
そしてⅡ期区間に入った直後の歩道の、この物言いたげな終り方である。。
 
 
イメージ 65
 
初開通から次の開通までの約10年間に、この新道が身を切った事は間違いなさそうだ。
ただ、工費と維持費は浮いても、用地取得費は後の祭り。一部は転用が利くものの、明らかな失策だ。
将来歩道を追加する事も、橋や一部区間は歩道用のスペースをカットしており、もはや不可能だ。
そして無為に余らすくらいなら、せめて広い路肩を付けて欲しかったなと、チャリ乗りとしては思う。。
 
 
それはそうと、、
 
 
 
イメージ 66
 
橋、出来てまっせ。。
 
 
知らん間にではあるが、断じて失策では無い!!ハァ・・・。。
 
 
 
-続く-                            28日 18時25分  公開
 

(都)西富岡石倉線工事状況(後編)

 
伊勢原市内の県道603号(上粕屋厚木)のバイパス、「(都)西富岡石倉線」の工事現場・予定地
を西富岡(厚木)側から西に向かって調査中(当局HP)。起点・分れ道から603号単独区間までの
「東側区間(0.7㎞)」の調査を終え、終点・石倉橋までの「西側区間(1.2㎞)」の調査に移る。
 
 
イメージ 1
 
まずは、ラッシュ時間帯は渋滞に陥る高部屋の三差路を左折し、603号に並走する幹線市道へ。
603号は直後の(伊勢原)温泉入口を左折するが、246へ出る場合は市道経由の方が早い。
 
 
イメージ 2
 
杭に囲まれた草原の中を突っ切る瑞々しい2車線道路。
ちょうどこの辺り(左側)に厚秦のインター(トランペット型)が造られる為、予定地の面積が殊更広い。
また、インター建設に伴い、市道の一部が付け替えられる。
 
 
イメージ 5
 
事業周知看板の前に到着。が、ここからだとホントに看板しか見えない。
 
 
それはそうと、、
 
 
イメージ 6
 
変わってるね、この橋の欄干。後付けの防護柵にフルサイズのガードフェンスを使ってる。
ガードフェンスの使用自体は珍しくないが、普通は足したい高さ分だけの横長タイプが主流だ。
 
 
イメージ 7
 
橋の名は秋山橋。付け替え区間内にある為、早晩お役御免となる。。
 
 
イメージ 8
 
橋先の急坂を登り、工事現場へ。現在は一番最初の段階である遺跡調査中だそうな。
工期は来年2月一杯。その後、本体工事に移るようだ。茅ヶ崎北陵のような「大物」が出なければ。
 
 
イメージ 9
 
現場の様子(分れ道方面)。
重機が入って地面を掘り返してるが、発掘現場自体は見えず、進捗状況がよく分からんかった。
 
 
イメージ 13
 
なおこの付近では、新東名本線(深緑色)の高架と交差する。
 
 
撤収。次の現場へ向かう。
市道に戻った後、右折すべき場所を通り過ぎ、戻るの面倒で次の交差点を右折したら、、
 
 
イメージ 10
 
2年前の今頃立ち寄った上粕屋神社の裏手に出た。傍らに「七人塚」なる石碑が立っているが・・・
 
 
イメージ 11
 
なるほど、そう言う「いわく」でしたか。
しかし、「明日はわが身」の江戸時代とはいえ、そんな簡単に人殺めさんなよなぁ。。
 
 
 
現在地。ここから神社の西側を通り、「アーチェリー場」方面へ。
 
 
イメージ 12
 
アーチェリー場先の分岐。マトモな道は左だが、私は道なり右、産能大方面へ。
 
 
イメージ 3
 
傍らのミラーに、遺跡調査に伴う迂回の案内が出ていた。箇所は現在地の目と鼻の先。と言う事は・・・
 
 
イメージ 4
 
分岐から間もなく、トラバリケードで囲まれたそれらしい一角が登場。覗いてみると、、
 
 
イメージ 14
 
おおー、遺跡っぽい。実際、土器の破片とか出土してるのかな。。
 
 
イメージ 18
 
因みにこの部分は、603号BP本線(桃色線)では無く付け替え道路(黄線)の予定地だ。
反対側は厚秦を潜るガードになっている「新設交差点(その2)」を直角の十字路にする為の措置だ。
 
 
イメージ 19
 
続いて、本線予定地内へ。
 
 
イメージ 20
 
「まわり道」と言っても、道が電柱の左側から右側に移っただけで、距離はほぼ変わらない。
 
 
イメージ 21
 
右側、分れ道方面。溝が三本掘ってあるが、本格的な調査はまだみたい。
丁度この写真の位置に、先述の「新設交差点」が出来る。
 
 
イメージ 22
 
変わって石倉橋方面。こちらは正に今調査中。
溝を跨いでジグザグに設けられたベルトコンベアーが面白い。どうせなら、動いてるトコ見たかったな。
 
 
イメージ 23
 
鉄板敷きの迂回路は木立の先で別の道路にぶつかり終了。奥には飯場のプレハブがある。
この丁字路を左折し、引き続き産能大方面へ。右折すると幹線市道で、ホントはこの道を通りたかった。
 
 
イメージ 24
 
左折直後、右側に現場の駐車場出入口がある。両側に工事看板が掲げられている。
 
 
イメージ 25
 
右側。
 
 
イメージ 15
 
左側。
全く同じに見えるが、施工業者が違った。あと、施工期間も左側の方が1日長い。
と言うか、右側が1日間違ってるんじゃ・・・。とにかく、現在進行中の調査は10月末までだ。
 
 
この後は淡々(まさかの対向車登場で畑の中退避とかあったが)と産能大の脇を抜け、、
 
 
イメージ 16
 
603号の起点・県道611号(大山板戸)との石倉三差路に。左折し、BPの起点・石倉橋へ向かう。
 
 
イメージ 17
 
大山街道そのままに狭い611号。「大山新道」の新設により、いずれ旧道化する石倉橋以北も、交差点付近は603号BP厚秦コンビの恩恵で拡幅が進む。最終的には、石倉までは2車線化するのかな?
 
 
イメージ 26
 
簡素を極めたミニ青看の立つ石倉橋の手前。
この標識先から厚秦の予定地に入るが、その一部を「前借し」、仮設歩道が新設されていた。
 
603号と右折先の県道612号(上粕屋南金目)に挟まれたこの区間は特に交通量が多く、路線バス以外の大型車(主にダンプ)も時折通る。三差路の前後だけとは言え、歩道の設置は大変ありがたい。
 
 
イメージ 27
 
石倉橋三差路内。BP側の囲いに、件の案内看板がでーんと掲げられていた。
「(上粕屋厚木)」が抜けているのは、それを入れると正面から見た時、全体が見えないからか。。
 
 
イメージ 30
 
そんな看板を背に、BPと相対する612号。
前回訪問時と比べ道路自体に変化は無いが、標識が新しくなっていた。
支柱が、直立型から「自転車通行可」を直付け出来る一体型に変わった。で、「実質追越禁止」は?
 
 
イメージ 31
 
と言うか、前の標識もまだ新品だったよね?
 
 
何でわざわざ替えたんか、サッパリワカラン。「矢印標識撲滅計画」でも密かに進んでるのかね?
 
 
イメージ 32
 
三差路の直後、ちょうどバス停の前に事業説明板が立っていた。
読むのに夢中になり過ぎてバスに乗りそびれる被害が出ない事を望む(ねぇよ
 
 
イメージ 33
 
おぉ、三差路以降も拡幅が始まってる。。
 
三差路-246間は「(都)大旬石倉線」として16mに拡幅される計画だが、それが遂に動き出したようだ。
 
 
イメージ 34
 
「40」のロードペイントに対する違和感が解消される日も、そう遠くなさそうだ。。
 
 
イメージ 35
 
美しいお花畑を「道連れ」にして。。
 
 
イメージ 36
 
左側の一部は、既に歩道状のセットバックが確保されていた。
 
 
イメージ 37
 
末端には「とび出し注意」の立て看板。管理者側にも、歩道と言う認識があるようだ。
それにしても、完成後よりも広いかもしれない歩道から狭い路側帯へ。正に「天国から地獄」の様相だ。
 
 
イメージ 28
 
セットバックはカーブの先まで。現時点での延長は100m程か。
その先は改良済み区間まで一直線だが、その途中にもこうした箇所があるようだ。
 
今回は603号BPレポの一部として扱ったが、今後取り上げる場合は独立させた方が良さそうだ。
その前にレポだって?そう言えば、600番台唯一の「未開通」だわね。取材はとうに終わってるんだが。
 
 
さて、603号BPの取材はこれで終了。大々的な看板とは裏腹に、思ったほど進んでなかったなぁ。
まぁ一朝一夕に行かないのが、良くも悪くも道路工事なんだけど。。
 
 
イメージ 29
 
左にドカッと広がる石倉橋を左折し、612号へ。次は611号のバイパス、「大山新道」に向かう。
 
 
新東名に厚秦に、603号BPに611号BP。さながら「大山道路祭り」ですな。。
 
 
 
-終り-                                       20時00分  公開
  
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